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【次の戦争を生き残る方法08】 50年後を想像すれば、答えはひとつしかない


 太平洋戦争が終わって、75年が経とうとしています。この75年間は、ちょうど「団塊の世代」と呼ばれた人たちの人生とちょうど重なるのですが、彼らが「戦争を知らない子供たち」と呼ばれたのは、本当に幸福なことであったのでしょう。

 しかし、どうもそれも、もうすぐおしまいになりそうです。

 75年という比較的長い平和な期間がありましたが、わかりやすく50年という区切りを設定してもよいと思います。

 50年後、僕たち私たちはどうなっているのか。私は現在アラフィフなので、めちゃくちゃ幸運でラッキーであればかろうじて生きているかもしれません。それでもかなりの老人で、ヨボヨボだとは思いますが。

 もうすこし若い世代でも、平均寿命ギリギリという感じでしょうか。あるいは多くの人は、これからの50年の間に、命が尽きてしまうことと思われます。


 さて、この連載のテーマは、次の戦争を生き残ることですから、そこに50年というスパンを重ね合わせると、どんなことが言えるでしょうか?

 もっとズバリ言えば、明日にでも次の戦争が起きたとして、

「50年後に、あなたはどのような形で生き残っているのか」

という、問いかけがなされるということです。

 1年や2年、あるいは10年程度のスパンであれば、どんな形であれ「この戦争を生き延びてやる」という強い意志を持ち、かつ実行することができるでしょう。

 それは「あなた自身が、生き残る」ことを意味します。けれど、そのスパンが50年、60年の長さになってくると、

「あなた自身が生き残るかどうかを、かならずしも意味しない」

ということが生じます。ここが、今回の重要なポイントなのです。


 戦争が起き、日本を脱出するということも予想されるかもしれません。あなたや私が日本を脱出し、その期間が10年を過ぎ、20年を過ぎ、30年を過ぎた未来を想像しましょう。

 日本に残った場合を想定してもかまいません。戦争が10年を過ぎ、占領されて20年を過ぎ、30年を過ぎた未来を想像しましょう。

(日中戦争は十五年戦争とも呼ばれました。ご参考に)

 いずれの場合でも、10年以上のある程度長い期間を経てくると、「あなたが、そのままの状態で生き残る」という想定はほとんど意味をなさなくなることがわかると思います。

(シベリア抑留でソ連に捕まった人は5年から11年、強制労働させられました。ご参考に)


 つまり、外国へ脱出したとしても、国内に残ったとしても、けして平穏なまま50年を過ごすことはできない、ということです。

1)難民として50年過ごすのか

2)早くに戦死するのか

3)捕虜や抑留者として50年過ごすのか

4)ゲリラとして50年間駆け巡るのか

 あるいはもっと想定外の。世界の闇にまぎれるような生き方もあるかもしれません。

 さらにもっと恐ろしいことを言えば、以前お話したイスラエルの民のように、50年後に自分の国を取り戻せる保証も確約もない、ということも事実だったりするのです。

 だとすれば、50年後に「あなたやあなたの国の未来はどうなっているか」の答えは、実はたったひとつしかないのです。


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