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エッセンシャルワーカーは、なぜ給料が低いのか

 コロナ禍によって、経済や物流、医療が逼迫せざるを得なくなり、同時にそうした社会の最前線で働く人たちに多大な負荷がかかっていることを再認識せざるを得なくなりました。

 それと同時に、そうした人たちを指して「エッセンシャルワーカー」という言葉が新たに認知されるようになり、また彼らの重要性が理解されるようになってきたとも言えます。


 ところが、「社会に必要な人材」「実際に経済を回している担い手」であるにも関わらず、エッセンシャルワーカーの給料が相対的に低いことが問題視されるようになっています。

 けれど、「なぜエッセンシャルワーカーの給料が低いのか」については、その理由があまりはっきりしていません。

 実は、このことについて仮説を立てているアメリカの研究者がいて、その翻訳が日本に入ってきてはいます。

 しかし、解脱者ムコガワは、この欧米発の論点は「かみあっていない」と喝破します。おそらく、みなさんも、彼の言っていることがまったくわからないと思います。

 なぜ?欧米の議論と日本の現実がかみあわないのか?

 では、エッセンシャルワーカーの給料が低い理由が、本当はどこにあるのか、読み解いてゆきましょう。

 最初に押さえておきたいのは、デヴィッド・グレーバー氏による「エッセンシャルワーカーの給料が低い理由」についての仮説です。

https://toyokeizai.net/articles/-/398889

 2つの記事を引用しましたが、元ネタが同じ「ブルシットジョブ・クソどうでもいい仕事の理論」(デヴィッド・グレーバー)ですから、話の中身は同じです。


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 デヴィッド・グレーバーの理論のもともとのテーマは「ブルシットジョブ=どうでもいい仕事・実際の価値が薄い仕事」がなぜ発生するのか、というものでした。

 それに付随しての「エッセンシャルワーク」に対しての低報酬の理由を導き出すものになっています。

 しかし、上の2つの記事を読んで、「なるほど、そのせいで僕たち私たちの給料は低いのか」と納得がゆき、ストンと理解できる人はほとんどいないと思います。

 その理由は、デヴィッドの理論が、「欧米型のキリスト教的ベース」によって語られているからで、少なくとも日本の現状には、あまり当てはまらないからでしょう。

 ではまず、デヴィッドの論を確認します。


◆ 労働の価値が高いほど、給料が低いということが起きている。

◆ 社会的価値が高い仕事に歓びを感じている人間は、多くの報酬を期待してはいけないという感覚がある。

◆ 逆に、自分の仕事が無益だと自覚していると、より多くの報酬を受け取ってもよいと考えて、不安を打ち消そうとする。

◆ 「労働は高い価値を持っている」という感性は、支配階級にも都合がよかったので、やりがい搾取で給料を低く抑えることができた。


 なるほど、部分的には「そういう部分もあるだろうな」とは思いますが、大多数の日本人にはピンとこないと思います。そもそも日本人は労働があまり好きではなく、「給料が低く抑えられてまで、そこまで労働は美徳か?」という点については、さまざまな感想を生むものと予想されるからです。

 なぜ、こんなズレが生じるのかと言うと、欧米の労働観というのはプロテスタントのキリスト教・宗教観に基づいているからで、「一生懸命労働することは、神に認められる行為である」という感覚がベースにあるから、「神に喜ばれることは、お金が貰えることにまさる」という理論が根底にあるのですね。

 「お金よりも、神への賛美と神からの加護を優先する」

と、話を置き換えれば、デヴィッドの言っていることが、すごくハッキリよく理解できると思います。

 つらい仕事を一生懸命やること(原罪と償い)は、まるで磔にされたイエスキリストの追体験をしているようだ、というわけです。

 そんなもん、日本人にはさっぱりわかりませんわな。


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 ところが、日本においてはそもそもキリスト教でもなければ、プロテスタントでもないので、「勤労は美徳だよね」くらいの一般的な感覚はあっても、そこまで自虐的に低い給与で我慢できるわけではありません。

 それよりもむしろ、抑えつけられると「一揆」を起こしたり、「安保闘争」をやったり、「労働争議」で団結したり、中学の窓ガラスをバイクに乗りながら叩き割ったり、本来の日本人は、あまりに酷いしうちを受けると暴徒と化す歴史を持っています。

 たまたま一億総中流で、みんなにある程度お金が行き渡っていたので、ここ20〜30年くらいはすっかり暴徒の姿が消えていましたが、奇しくもつい先日くらいから、経済状況、社会状況がよろしくない沖縄では、警察を取り囲んでの若者の暴動が起きました。ああいうことが、次第に復活してくるのが、時代の逆戻りを感じさせますね。

 火付けも増えています。火付け盗賊改の復活が望まれます。


 さて、エッセンシャルワーカーに話を戻しましょう。

 実は、「エッセンシャルワーカーは給料が低い」と思われていますが、実際には「今現在そうだ」というだけで、歴史的にはそうではありません。

 日本の場合、「元々は給料が高かったけれど、現在は下がっている」エッセンシャルワーカーと、「最初から給料が低い」エッセンシャルワーカー」がいるので、そもそもひとくくりにできないのです。

 トラックドライバーや建築職人は、20〜30年前であれば「休みがなくてしんどい」けれど、高給取りでした。「寝ないで走れば月給100万」も夢ではなかった時代があり、今でも計算上の「大工の日当は2万円」です。きつくてコスパは悪いけれど、結果的にもらえる給料は高い、という職業だったのです。

 医師や看護師は、べつに給料が安いわけではありません。ただし、婦長クラスと准看護師とでは待遇は違いますが、これは階級制度の問題であって、エッセンシャルワークとは無関係です。開業医と勤務医の収入差も、エッセンシャルかどうかの議論とは無関係です。

 ちょっと前に、どこかの市営バスの運転手さんの年収が700万くらいあると話題になっていましたが、民間バスとの違いもまた、別問題ですね。学校の教員もエッセンシャルワーカーですが、私の元同僚は公立校教諭なので、年収700万くらいあります。別に安くこき使われているわけではないのです。

 それに対して、小売業や対面業務、また第一次産業などの従事者は、昔も今も給料面では高くありませんでした。これは「誰でも替えが効く」(学歴不問等)という発想の単純業務が中心だったからで、アルバイト制度などで給料が下がりがちでした。

 また、介護・福祉に関わる仕事は、国が給料を決めており、そもそも低めに抑えられています。その目的は、サービスの受け手から徴収する金額も、同時に安く抑えようとするからです。


 ところが、失われた20年だか30年だかの間に、日本全体の経済が縮小すると、すべての業種、職種で「給料の押さえ込み」が始まりました。また、おなじ企業内でも「上位の身分制度によって、旧給料を維持できる身分」と「下位の身分制度によって、給料が抑え込まれる身分」に分かれました。

 派遣社員やら、期間工、契約社員といった新しい身分がそれです。また、おなじ物流会社でも、制服スーツ組(上位身分)にはおなじ給料を維持できたけれど、それ以下のドライバー(下位身分)には制限がかかる、なんてこともしょっちゅう起きました。

 江戸時代は「士農工商」という身分があったと習いましたが、23世紀くらいになると「昔は、”正規・非正規・アルバイト”という身分があったのじゃ」と勉強することになると思います。

 建築で言えば「元請け会社の社員の給料はあまり下がっていない」が、「下請け以下の実働部隊の給料は下がった」ということが起きました。

 ぶっちゃけ、社会における中層以上の「スーツ組」の人たちの給料は、そこまで下がっていません。入ってくるそう売上は減ったのに、上位層を維持するために、そこから下の人達の給料を下げたからです。


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 結論から言えば、日本においては「エッセンシャルワーカーの給料が低い」というのは、正確ではありません。

 日本には身分制度があり、おなじ組織内で上下に分けるクセがあるので、その下位に属したワーカーは給料が低い、のです。

(これは江戸時代から同じで、おなじ藩士でも殿に会える「お目見え」以上とか、上士と下士とか、馬廻りと足軽とか、そういう身分の違いはずっとあったので、あまり今も変わっていません。日本人のクセです)

 それが証拠に、物流でも、建築でも医療でも、「管理職以上の給料は、それほど低くない」のが実態です。


 さて、最終結論です。現時点で、エッセンシャルワーカーの中に、給料が低い人たちがいるのは事実です。しかし、「通常の仕事より、彼らが不当に低い」ということはなくなります。なぜなら、「通常の仕事をしている人も、これから給料が転落する」からです。

 みーんな給料が下がるので、公平ですね。

 日本郵政で、正規職員と非正規職員の待遇格差が問題になり、裁判所が格差是正を申し渡したところ、「全員低い方に揃える」という結果になった話は有名です。

 これから、管理職スーツ組の待遇も低くなるし、普通の仕事をしていても給料が下がります。安心してください。みんなで渡れば怖くない。


(おしまい)





 

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