人が死ぬこと
先日祖父が死んだ。
2ヶ月くらい、覚悟していたことではあった。
幼少期は一緒に住んでいて、おじいちゃんおばあちゃんっこだった私にとって
受け止めるのが非常につらいことだった。
でも、見送ることができてよかったよ、本当にお疲れ様でした。
ゆっくり休んでほしいです。
そして、同じくらいつらかったのが、母や父に合わなければならないことだった。
物理的距離が離れて、私の精神的な面もやっと落ち着いてきたと思っていた。
だけどそんな簡単なことではなく、帰るまでのやりとりや、会ってからのこと、親戚への対応、いろんなことに嫌悪感でいっぱいで、すぐに心は不安定に崩れていった。足もとはいつもグラグラ。
コロナでずっと会えてなかったんだけど、母親に「会いたかった〜」とか言われて、
まっすぐ顔が見れなかった、どこまでも親不孝でごめんと思った。
成人してからの葬儀ははじめてで、本当にいろんなことを考えた。
その中で
「親が死んだら私が喪主か。」
とふと思った、気持ちは最悪だった。
感謝できないのに多額をかけて見送らなければならない。
でも、田舎だから親戚もたくさんいるし、見せかけはうまくっている家族だから、そのときに私が逃げ出すなんてできないかなって。
苦しすぎる。
そして、きっとそう思いながらも葬儀では泣いてしまいそうな自分もいる。
それじゃあいっそのこと、私を先に送ってほしいと思ってしまった。
父母は大切に思ってくれているのだろう、だけど私はまったくそうは思えない。
だったらなおさら、大切に思ってるときに、って。
本当に最悪な考えが浮かんでしまって、軽くうつ状態ないま。
大切にしていることも、そう感じてもらえてないことがあり得るってことを感じて悲しい。
すぐ家族のせいにする自分も嫌いだ
この呪縛からは解放されないのかもしれない
私が死ぬまでは
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