掌篇小説『雨のリラン』(480字)
もうさほど冷たくもないビールをグラスに注ぎ。
呪文を囁く。
こまかな泡が遊ぶ、琥珀の澄んだ世界のなか。何やら影が生れたかと思うと、側に居るかのような輪郭をなす。
女。
あの日雨のなか、彼へと駈けてきた女。ミュージカルみたく踊るように。傘をさし。
<逃げてきたの>
と唇が無音の言葉を形造り、微笑む。陽気な家出娘。腕には仔犬を抱え。
<この子も私も、貴方のもとへゆく他ないわ>
音はなくとも、女の歌声はすぐ思い出せる。童のおもちゃ程の犬は女と彼を交互に見る。雨に濡れ不安げにも