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『モノ・コト』を通して人と接するという選択

 ずっと看板のことを話ばかりだったのでちょっと恥ずかしいですが自分のこともさ少し書いてみようと思います。自分仕事でもプライベートでも、なんなら昔からの『人との関わり方』に関してです。

元々自分と向き合ったり内省したりというのが苦手なタイプ(といか目を背けてきた)です。しかし弊社GCストーリーでは、『幸せ』の実現のためのそんな苦手分野に向き合う機会や研修が沢山あります。
そんな中での気づいたお話しです。

人が好き故に踏み込めない

 自分は基本的に人と関わることは好きで、人とご飯べに行ったり、飲みに行ったり、ただ話するのも、大人数で騒いで遊ぶのも(最近は年齢による体力減少でつらいですが笑)好きです。

特に一緒にいる人たちがどういう考えや背景、価値観をもっているのかなどを聞くのも楽しく、自分もそれを話してお互いの想い・思想を共有して仲が深まる感じがとても心地よいです。

ただ一方中々そこまでにたどり着くのは自分にとってはとてもハードルの高いことでした…色々考えてしまいます。

・相手の心に土足に踏み入るようなことして、相手は嫌がらないだろうか。
・相手は自分の事興味ないのに、退屈させないだろうか。
・価値観の違いで相手が不快な思いをしないだろうか。
・気づかないうちに相手を否定してしまわないだろうか。

もちろん話すときもこんなこと考えて気を付けて話すのですが、慎重になりすぎて「よし、今日はやめておこう」となることも多々あります。というか昔はほんとどがそんな感じで自分の中では人と仲良くなるということは大変でした。

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救世主『モノ・コト』

 そんな自分でしたが、どうにかその自分の中にある心配事を乗り越えて相手の事を知り、自分の事を知ってもらう術がないだろうか…の解決策が『モノ・コト』を相手と自分の間に一つクッションを置くことでした。

例えば自分は卓球を10年間ぐらいやっていたのですが、卓球仲間の人達と卓球の話を通じてその人となりや自分の事を話して探っていく感じです。どんな選手が好きか、どんなプレーが得意か、本番に強いか弱いか等々。

同じ『モノ・コト』を共有しているので、相手を退屈させることもないです。共有しているものがなければ相手の好きな『モノ・コト』をすごい調べたりしてます。
意見もあくまで『モノ・コト』に対して言えるので相手への間接的アプローチなので、否定や不快な思いをさせることを防げる安心感みたいなものを感じていました。

看板というモノが好きになったのも根本はここにあると思います笑

『モノ・コト』の限界

 革命だと思っていたこの手法ですが少しずつ限界が見えてき始めました。一つは自分が人に興味がない人と思われることだ。あまりにも『モノ・コト』の話ばかりするし、相手と話すために徹底的に調べたり勉強したりするのでそう勘違いされることが多々ある。これに関しては訂正すればよいのでまあ大したことはない。

『モノ・コト』じゃなくてあなたはどうなの?と逆に突っ込んでくるパターンや、短期で関係構築する必要(営業など)があったりする場合、勝手な自分の解釈で勘違いをしてしまうなど、やはりダイレクトで自分がさらけ出して、相手に話してもらうなんてことが必要になってきました。

頑張ってやってみたりはするのの、とても気持ち悪く落ち着かなくなり、別に何かトラブルも何もなく、嫌いなんてこともないはずなのですがその人と話したくないという感情が湧いてしまいました。
それがいつの間にか相手を敵として認識してしまうということまで発展したりもして、これで仕事仲間や会社の人にも迷惑をかけてしまったりしました。

そんな自分が変わるきっかけとなったのがGCストーリーの『安心安全の場』でした。自分がどんなことをしてしまっても、また言ってしまっても自分を認めてくれる、突き放さないで向き合ってくれるということが実感できたことです。

会社の文化として個人個人をとても大切に考えてくれるので、自分が仕事で大きなやらかししても自分の精神状態とか現状の心配をしてくれました。それだけでなく振り返ると本当にありがたいなと思えることばかりでした。
なんだか親の有難さみたいなものですね笑

それ以来、この『安心安全の場』を信頼し、身をゆだねてダイレクトに人と関わるみたいなことも少しずつできるようになってきました。

別に『モノ・コト』を通すことが悪いことだとは思っていないです。昔から染み付いているもので、やはりこれが自分にとっては心地よいので今はまだ続けていくのではと思います。

ただ自分がそういう手段をとっている、万能ではないぞ、使いようだぞと頭で理解しておくことが大切かなと考えています。

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