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フロ読 vol.10 京極夏彦『西巷説百物語』 中央公論新社

通勤電車2往復+フロ読にて読了。
 
京極夏彦は学生時分から大好きで、『姑獲鳥の夏』以降、しばしば持ち歩いている。文庫版に買い直したりもしたが、やはり最初に購入した段組二段の新書版が忘れられず、再び買い直し中。
 
本書は段組は為されていないが、やはり大きいサイズ。ただし見た目以上に軽い(紙が薄い)ので、手元がちょっとおぼつかなく、危うく共に入浴しそうになった。
 
「西」とある通り大阪が舞台。作者の知識と造詣の深さから江戸期の大阪の世界が眼前に広がる。いや、心の中に浸みる感じか。ときに西鶴や馬琴を思わせる口調が小気味良い。藤沢周平のように景色から呼び込むのではなく、やはり京極は浄瑠璃のような心情の描写で迫ってくる。
 
桂男、遺言幽霊・水乞幽霊…と例の如く妖しの名を冠した各章ごとに一つの事件。狂言仕事で通らぬ仕掛けを通し、人(主に犯人)の真情と事件の真相を明らかにしていく。
 
人を殺めるのに理屈は不要。魔が射すこともあるのだろう。でもその根底には必ず粘っこい情念のようなものがあって、桂男、豆狸、野狐は特に切なかった。欲と愛は表裏にして別モノ。案外それが怪しの正体だとすれば、京極小説は常に真理を掌中で転がしつつ、その断片を見せてくれているのかもしれない。
 
「これで仕舞の金比羅さんやで」というセリフが如何に余韻を導くか。「仕舞」の上手さがまた絶妙で、オススメの逸品。 

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