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世界は繋っていける。

もう10年以上も前、前職でいつもと同じような仕事をしていた。
クリーンルームと呼ばれる、ゴミやホコリが流入する事を防いだ大きな部屋で、客先に納入する装置の動作チェックをしていた。
僕は入社して5年以上経った頃で、同僚と話をしながら、ある程度覚えた仕事をしていた。

慣れた仕事は大きな苦もなく、でもこのままで良いのかと、不安を感じていた。
あれほど有ったはずの自信ややる気は、入社数年でほとんど薄れていた。
ただ、その日々を過ごしていた。
そんな毎日の中、朝から続く仕事をダラダラとしていた。
あの頃は、目標も目的も無かった。
あるのは、毎月お給料を貰える環境への依存と、毎日感じる違和感を見ないようにすることだった。

そんな昼過ぎ、ふと巨大な揺れが発生した。
同僚は地べたに座って作業していたためか、ずっと地震だと気が付かず、とにかく危ないと感じた僕は彼と一緒に外へ出た。
クリーンルームの壁を開けて開放するのは、その設備上、大問題がある時にしか出来ない事だった。
クリーン服のまま、クリーン靴を履いたまま、外へ飛び出した。

幸いにして、社内の人間や同僚で怪我をした人は居なかった。
会社から自宅までのエリアで停電になり、そのまま歩いて帰宅した。
帰り道は畑が多い道で、倒れた看板などはあったが、後の被害を感じさせるような状況ではなかった。
畑の横の道は風が強く、茶色い砂埃が横から吹きつけてきた。
信号や街灯が全て消えていて、人が少なく物音が極端に少なかった。

家に着く頃は夕方でどんどん日が暮れていく中、薄暗いコンビニに行列が出来ていた。
僕も並んで残り僅かな水とパンを購入した。
店内の品物は殆ど尽きていた。
レジは電池切れでもうすぐ停止しそうで、充電切れを告げる「ピーピー」音が鳴っていた。
「レジが使えるまではお店やりますので」と店員さんが叫んでいた。
買い物を終えて外へ出ると、信号が付かない道路で車がゆっくり行き来していた。
夕方なのに無音で、薄暗いセピア色の風景は今も時折思い出す。

自宅に戻り、家の中で倒れたものを片付けていた。
夜には携帯の充電も尽き、翌朝まで何の情報も得られなかった。
部屋はただただ真っ暗で、懐中電灯もなく、以前買ったままのアロマキャンドルを焚いて、暗闇と不安をしのいだ。
ジーンズを穿いて、何かあったら直ぐに逃げられるようにして寝た。
場違いな甘い香りが部屋中に広がっていた。

・・・・・

朝起きた時、陽の光に感謝した。
電気も復旧していた。
そしてテレビをつけた。
想像を絶する被害が有った。
映し出される地獄のような映像。
対照的に自宅の周りは本当に静かだった。
本当に静かだった。

・・・・・

あれから今も自分の環境は少し変わってきたのだろうか。
僕があの時感じた気持ちは嘘じゃないけど、でも今じゃ普通に過ごしている。
毎日思い出すことはない。
募金以外に何か貢献したこともない。
ただあの日から、人とつながる事に対して積極的になった。
人生、待っているだけでは意味がないと思った。
否定されて傷ついたり、それを守るために尖って一人を貫いたり。
そんなことは人生でどうでもいい程に小さく思えるようになった。
積極的に交流し、そこから繋がった人達が今もいる。
去る者もいたり、残るものもいたり。
それらすべてが財産になっている。

人はいつか死ぬ。
僕も、みんなもいつか死ぬ。
あんなに簡単に人生が終わる人達が居ると、誰が予想しただろう。
そんな人達がいる。
その傷はいまだ癒えない。

僕は仕事を辞めたのに、次が見えずに1年半も経過してしまった。
体調はいいのか悪いのか分からないが、ずっと憂鬱な日々を過ごしている。
自分はどう生きるべきか?なんて若者のような悩みをいつまでも抱えている。

でも生きている。
生きていればなんでも出来る。
人とも、未来とも繋がっていける。

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