見出し画像

身を滅ぼすウロボロス。

僕は自他共に認める酒好きだ。
それは事実で、平日は家で晩酌をし、土日はよく一人飲み歩いている。
平日に残業が無かったりすると、地元で晩飯がてら飲んでいることもあった。
最近は酒の量が増えてさまざまな人から心配されることもある。

僕は何故、お酒を飲むのだろう。
という疑問も抱かずにいた。
酒が好きなら、家で飲めば良い。
確かに家でも飲んでいる。
だけど外に出る事が多い。
料理も楽しめるからだろうか。
それもあるが、きっとそれだけじゃない。

根底にあるのは「寂しさ」だ。
人と交流を持ちたい。
そこが本心だ。

いつから一人飲みをし始めたのだろうと考えてみた。
それは大学生の後半頃だったと思う。
その頃、地元の駅前にあるカジュアルなバーで飲むようになった。
そこは冬になると、オシャレおでんとかも出しちゃうようなお店だった。

その頃の僕は、お酒が好きで覚えたい気持ちもあったし、背伸びしたい気持ちもあった。
お酒になのか、一人でバーで飲めちゃう自分になのか、酔っていた。
そういう店に何度か通うと、お店側にも顔を覚えてもらえる。
今思えばそれが快感だった。

情けない話、大学生だった当時も、気心の知れた友人は本当に数える程度しか居なかった。
本当の悩みや本音まで語れる友人は皆無だった。
そこにきてお店だと、自分を覚えてくれるし歓迎してくれる。
それは客商売だから、至極当たり前の話なのだれど。
その当時から孤独と寂しさに支配されていた自分には、またとない環境に思えたのだ。

しばらく通うと、他のお客さんとも会話ができるようになる。
学生なんて殆ど居ないから、社会人、しかも40代550代の常連さんが珍しがって絡んでくれた。
僕も酒に酔って普段より饒舌に、フレンドリーに振舞うことができた。

ある時、遅くまで居ついているとマスターは店を早めに切り上げた。
そして残っていたお客さんたち数人と一緒に、近くのキャバクラに行った。
僕にとってそれが初キャバだった。
(初キャバという言葉があるとすればだが)

当時、友人が欲しいと切望しながらも、気難しさやコンプレックスから心を開くことが下手だった。
そのくせ自分を受け入れてくれない環境や人たちを見返してやりたいという、捻くれた気持ちを抱いていた。
そんな思いを成就させるには、相応しい場だったのだろう。

つまり、僕が何故お酒を飲むのかという答えは、
お酒を媒介として人と交流するためというのが主な理由であった。
寂しさを紛らわすための、人と交わるための言い訳ツール。
隠れた本丸はそこだったのだろう。

お酒を飲むと本性が現れるといわれる。
それが僕にとっては「寂しさ・人恋しさ」なのだろう。
外で飲んでいる時、そこには各々の孤独をぼやかすかりそめの共同体が出来上がる。
それは周囲との交流だったり、お酒による力だったり。

良くできているもので、お酒を飲むことで増長されたその思いを解決するために、お酒を飲んでいることになる。
そして翌日に後悔と疲れが残る。
不毛だなぁと我ながら思う。

注意しなくてはならない点がある。
お酒を飲むことが「目的」から「手段」に、途中から「お酒」によってすり変えられていることだ。
ある地点を境として、僕はお酒を本心から飲みたいわけではなくなっている。
ただただ寂しさを紛らわし、楽しくなるための作業になっている時は注意が必要だ。

まあ、たまにはそんなときがあってもいいだろう。
しかし毎回そうだとちょっとマズいと感じている。
お金も体力も、もっと別の事で使いたい。
この不毛な堂々巡りが身を滅ぼすんじゃないだろうかと不安になる。
そんなに飲むこと無かったよな、と翌日いつも思う。
酒にばかり逃げても大人になれないよなと感じる。
自分の寂しさを飲み込み、孤独に酔うってのも大人になるには必要なことなのかも知れない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?