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多様性の中で

最近多様性を謳う機会が多くなったと思う。
いろんなことを認め合う世界はそれは素晴らしいと思う。
それは人種であったり、国であったり、考えであったり。
もちろん気持ちにも多様性がある。
しかし、最近気になるのは、自分にとって都合の良いものだけを集めた世界を多様性と呼んでいることがあるような気がする。

気持ちの多様性にフォーカスをあてたい。
1番気になっていることは、「嫌い、嫌」の声を認めようとしない風潮があること。

嫌い、嫌という気持ちは立派な気持ちであり、好きと同じくらい主張しても良いし、しなければならない気持ちでもある。
嫌い・嫌・反対の声をすぐに誹謗中傷だとか言う人もいる。
批判を誹謗中傷だと言う人もいる。
これは一体どう言うことなのかとよく考えると、そう言う人たちは、肯定的な気持ちしか受け入れない認めない、
という考えを持っているようにみえた。
もちろんそれも大切な考え方だと思う。
だからと言って、自分の考え以外を排除して、認めないというのは考えの多様性にはそぐわないし、成長もない。

友達でも好きが一緒の人は当たり前に仲良くなれるし、嫌いが一緒の人とも話が盛り上がって仲良くなれる。
嫌いという感情にはとてつもない大きなパワーがあると思う。

多様性を重視する世の中で、都合の良いことだけを取り入れるのもよいけれど、嫌い、嫌、反対の気持ちも認めることが一歩進んだ多様性の世界に繋がると思う。

嫌いと声を上げることに圧をかける風潮は許せない。
嫌いなものは嫌い、嫌なものは嫌。それで良い。

自己主張が簡単にできる世の中だからこそ、しっかりと自分の意見を出していかないといけないと思う。これまで以上に。
好きも嫌いもハッキリと。

批判も反対も受け入れなくても、聞く事は大切だと思う。
自分では気づいてなくても、間違ってしまっていたりすることに気づくきっかけになるかもしれないのだから。

メディアによる国民の洗脳が始まって久しい。
あらゆる媒体、手法を使って私たちの思考力を奪おうとしている。

一人として自分と同じ人はいないのだから、自分だけの思いや意見を持ち、発信することは大切だと思う。

あるニュースを見て、そんなことを考えた夜でした。

おわり

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