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育ての親は大統領 Part3

我が人生に影響を与えた「僕の育ての親シリーズ」も、これでpart3。

今回も前作からの続きをサクサク書くが、意外に好評な事に驚いている。

オウム真理教の教祖である、麻原彰晃の私選弁護人、横山昭二弁護士が「弊社の顧客に対して行った行為」につき「弁護士倫理に悖る」と憤慨した僕は、彼の弁護士法違反、及び民法、刑法違反と思慮される行為を列記。同法に基づき、大阪弁護士会に懲戒請求書を送付した。

返す刀でFRIDAYに出演。続いてTBS、テレビ朝日と出演した事は既に述べた。それが引き金とになり週刊誌にスポーツ新聞と、あらゆる媒体の取材がオフィスに殺到した。当時は取材に来ないマスコミの方が少なかったが、ここでも事件はまた起きる。

「姉さん事件です!」が何故かよく起きる(笑)。

経緯はこうである。複数のメディアがこの件を取りあげ出した数日後。ある大手スポーツ新聞社が、福岡市の金融会社と横山氏の壮絶で悲しいバトルを取材し、横山氏の悪行を晒した記事を書いてたので読んでいた。

「この世の中僕とよく似た事案があるんだなあ」そう思うわけねえだろう!それ程バカじゃない。読めば読むほど僕を「A氏」に変換した、インタビュー記事ではないか。A氏は僕だ(笑)。これに憤慨した僕は、自然の摂理として、当然ここのスポーツ新聞社と揉める事となる。

僕は又もや、安物の電球のようにキレた!

言っておくが、僕は匿名の取材を受けない。常に本名で取材に臨み、発言には必ず責任を持つ事が、今でも変わらぬ自分の生き様である。発言と文責には責任を持つ。依ってこの「A氏」という表現も気に入らないのだが、もう一つ理由がある。

僕がFRIDAYに電話する数日前「ある大手スポーツ新聞社」に電話をしたのだが、物別れに終わった。その後FRIDAYに電話をし、やり取り後に京都グランドホテル(当時の名称)で、FRIDAYの記者と落ち合う。そして数度の打ち合わせと取材を隠密裏に進め、一気に掲載されたと言う経緯がある。それほど緊迫していた時期だった。

まず「ある大手スポーツ新聞社」を最初に指名した理由は、会社で定期購買してたからなのだが、電話をすると、先方から小倉北区のリーガロイヤルホテルを指定され取材、という事になりスポーツ新聞社の記者とラウンジで会い、取材が行われた。

「さあ初めての取材が始まる」と思い緊張してると、来たのは全く仕事をやる気のない記者。真剣に人の話を聞いてる態度じゃない。僕の言葉を適当にメモするだけ。だから「興味ないならもういいですよ」と、お帰り頂いた。

ここで突然話は変わるが、まあ聞いてくれ(笑)。

実はこの頃、万一僕が死亡した場合、7800万円が死亡保険金として降りる生命保険に入っていた。既に書いたが、「オウムを相手にする事になるので、殺されます!お願いです、止めてください!」と、土下座をしてくれた我が金融会社の専務と店長。

もし殺されたら、長年付いてきた後輩でもある専務に、形見分けとして僕の愛用Rolexと保険金の一部を。店長にもそれなりのお金を。死亡保険金は母親を受取人としていたので、お金は母に行く。母もこれで仕事を辞められる。親父にも残せる。僕にある、当時の財産は、貸付金以外はこれだけだった。

「殺されたら、どうするのか?」。


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恥を晒して書いてます。人生を思い起こし、私しか経験していない、過去や現在を書き綴っております。私なりの教育論になりますが、是非ご一読頂き、ご共有の程、宜しくお願い致します。