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”美味しいの基準”

「あの店はそこまで美味しくなかったよね」

と、最近聞かれたことがあった。

私は好き嫌いがないことがちょっとした自慢でもあり、舌の許容範囲はかなり広い。レバーやパクチーみたいな一般的に嫌いだと敬遠されるものが逆に好物だったりするし、カエルやネズミや芋虫など、日本では常食されないものも、とりあえず口には入れてきた。


なんなら、世の中の皆さんの好き嫌いは、タイミングと思い込みだとすら思っている。


例えば、飛行機内で食べるウニは美味しくない。それは、ウニが本来いる場所である海から遠く離れているからだ。甘みや苦味や塩味の複雑なバランスの上で美味しさが成り立っているものなのに、遠路はるばる運ばれるうちに色々と失い、生臭さしか残らずに「まずい」となる。鮮度が重要な繊細なものほど、そうなる。本来の味を知っていれば、「ここで食べるからまずい」と補えるのだが、知らない場合は「ウニは、まずいもの」と結論づける。


そんな考えが根っこにあるから、私は「美味しくない」という判断になかなかならない。聞かれた時には、困った。


うーん、うーん。美味しくない? 美味しくなくはない。美味しい。美味しいって、何?


……困ったので、判断の仕方を変えてみた。


「大事な友達が”美味しい店を教えて”と聞いてきたとき、あの店を思い出すか?」


この問いかけは秀悦で、「あ、思い出さないな!」とすぐに結論が出た。「あ、でも、このエリアの中で、気軽に食べたいと言う条件があったらお伝えはするな」。これで、レベル感が測れた。


自分自身の「美味しい基準」はとても曖昧なのに、親友に勧めるかどうか、と少し的をずらしただけで、こんなに考えやすくなるものなのか。


自分のことって、本当に自分ではわからないもんだな。


そう思った出来事だった。

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