見出し画像

何をするために、フィリピンに行ったのか

フィリピンには、マンツーマンの英語学校に入学するために行きました。
在籍期間は2019年11月10日〜2020年2月末(14週間)です。年末年始は授業が少なく2週間ほど学校を休んだので、トータルは3か月半です。

画像1


Q1:なぜ、フィリピンを選んだのか

マンツーマン授業のコストが安いから。海外に長期間いることができる、ただそれだけです。渡航前はフィリピンについて、何も知りませんでした。
何も知らないどころか、興味もありませんでした。
「あーセブ? …って、フィリピンなんだ、へぇ…(無関心)」的な。

Q2:渡航前はどんな気持ちだったのか

あんまり前向きにはなれていませんでした。
海外旅行に行く前のワクワク感は湧いてこず、できるだけフィリピンに着いた後のことを想像しないようにしていました。これまで英語を好きだと思ったことがないので、やっぱり嫌なものは嫌、という状態で。
良かったことは、「今って何しているの? これからどうするの?」という質問に、答えやすかったことくらいでしょうか。

Q3:そもそも英語は好きだったのか

超嫌いです。やらなきゃ、とは思うものの、英語の勉強を積極的にした記憶がありません。嫌いというか…、面白いと感じたことがありませんでした。
新しいものを見たり知ったりするのは好きなので、海外旅行には20か国ほど行きましたが、どの旅行も私より英語の話せる友達と一緒だったので、いつも頼ってばかり。
そのうち、あまりにも英語を話さない私に呆れる友達も出てきました。
「なんで英語になると、そんなに黙るのよ…(怒)」って。

Q4:英語が話せない状態で海外に行き、失敗したことはなかったのか

大学時代に一人でスペインに行ったとき、殴られたことがあります。
スペインから、友人が留学していたイギリスに行くために国内線を乗ろうとしていた時、空港行きの最終バスの「出発」と「到着」のサインを間違えて、乗り損ねました。お金もなかったので、やむなくバスターミナルで野宿して、次の日の始発バスで空港に行くことにしたんです。
でもやることがなくて暇で。そう言えばスペインに来たのにパエリア食べてないなと思い立って、夜中12時に外に出たんです。馬鹿です。
そしたら、スペイン人の男性に声をかけられ、無視して歩いていたら、いきなり平手打ちをくらって道路に倒れ、口から血が出るという惨事に。幸いバスターミナルから出てすぐのできごとだったので、日本語で怒鳴って追い払うことができ、バスターミナルに戻ることができました。
今となっては笑い話ですが、そもそもサインを間違えると言う初歩的なミスから起きていることなので、ほんとアホです。

画像2


Q5:なぜ今(さら)、英語なのか

みんな知っていることですが、これからの日本は人口が減少していきます。
すでにコンビニも飲食店も店員は外国人ばかり。介護や医療など幅広い分野でもっと増加していきます。
これからの日本は、外国人の力を借りないと成り立たなくなっていく。
だから、たとえ海外に出なくても、日本に暮らすだけでも英語は避けて通れないな、と思いました。外国人に助けてもらっているのに、日本語ばかりで話をするのはアンフェアだなぁ…と。
それと、例えば今年死ぬと仮定して、”死ぬ前にやってみたかった10のこと”を考えた時に、「英語を避け続けてきたなぁ」と心のこり部門に入ってくるな、と思ったので。本当は5年後、10年後から逆算して行動を決めていきたかったのですが、考え過ぎて動けなくなってしまったので、遠い未来より目の前の必要だと思うことから取り組むことにしました。

Q6:あなたが身につけたところで、英語ができる人は日本に山ほどいると思うが

そもそも”英語がめっちゃできる人”と自分を比較すること自体が、意味がないなと思いました。英語ができる人は、その人ができることをすればいいし、私は私でやりたいことをやればいいや、と。学生時代に学んでおけよ、おバカ! と何度も思うことはありますが、やってこなかったんで仕方ありません。気が緩むと、すぐに人と比較して落ち込んじゃうけれど、遅いとか早いとか関係ないやと思うようにしています。

Q7:フィリピンに語学留学に行って、話せるようになったのか

気持ちよく話せるまでには全然なっていませんが、意識は変わりました。
これまで外国人に話しかけられると、頭が真っ白になって冷や汗が出て、「イエス」を絞り出すか、真っ先に横の友達を見つめて助けを全力で求めるか、どちらかでした。だから、できる限り話しかけられないように、遠くに距離をとって、やり過ごしていました。
今回フィリピンに来たことで、その状況は改善されたと思います。
英語で思ったことが言えなくてストレスは溜まるけど、英語で泣いたり、笑ったり、怒ったりしている自分に気づいた時は驚きました。

画像3


Q8:フィリピンでの3か月半を経て、何が変わったのか

まず、英語への苦手意識はだいぶ緩和できたと思います。
そもそも最初の計画では、2か月半の滞在で、1月末に帰国する予定でした。それを途中で1か月追加し、さらに学校が終わってもまだフィリピンにいる……。こんな未来は、1ミリも想像できませんでした。
相変わらず緊張はするし、まだまだわからないことばかりですが、冷や汗はかかなくなりました。「なんて言ってるんだろう」と言葉を拾おうとしたり、「よくわかんないけど、とりあえず私の思ってることは言うか」と切り替えたり、英語での会話に前向きになりました。
これは私にとって、劇的な変化でした。

次に、「英語以外で学んだこと」がたくさんありました。
まるで、生涯学習の学校のようでした。
彼らの文化・常識・性格と自分をぶつけることで、私の思考のクセに気がついたりして、幸せってなんだろ……というアンテナの受信幅が、少しずつ広がっていく気がしました。その一方で、日本だから存在している文化の素晴らしさも再認識しました。

「特徴」とは、そのものだけでは見えず、何かと比べて初めてわかるものです。フィリピンでの日々を通して、日本人とフィリピン人のコミュニケーションの摩擦の中から、それぞれの特徴を感じました。そして、これまで持っていた常識が根っこから覆るような発見があり、『ヒト』として新たな気づきを得ました。

国というカテゴリーよりも、もっと大きなカテゴリーで、です。

今回の経験を通して、「ヒト」である人生を楽しんで味わうには、外国のヒトとの接点が重要なヒントになる、と感じています。

1000%、フィリピンに行ってよかった!

画像4


この記事が参加している募集

私のイチオシ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?