見出し画像

「ワレワレのモロモロ」ワークショップに参加した

上田で「ワレワレのモロモロ」(ハイバイ)を観てからずっと興味があったワークショップに参加した。その時抱えていたイタタタな話(痛すぎるけど人に話すとまあまあな確率である部分で笑ってもらえる)を手放したいという欲求がすごくあって。

その時から、だいぶ時間が経っていたから、ある程度折り合いはついていたけれど(映画美学校の「ことばの学校」コースの課題で文章作品の一部に昇華した時点である程度気持ちは成仏していたかもしれない)、それでも、かなり面白かった!!

あんなに嫌だった体験(元彼がとったひどい態度)を外側から見るとあんなに笑えるなんて!

他人が演じてるのを見る→自分のもの(話)が自分のものでありながら自分のものではない感覚がありました。自分の話なのに、手を離れたと感じた、それと共に解放されて癒される感覚。それがなんだったのかをもう少し探ると、みんなのもの、公になったことで、公に、大々的に嫌なことだったと思っていいんだ、というお墨付きを得た、という感覚、なのかな。自分は(過干渉の母の子育ての影響だと思うが)何事にも自分の選択に自信が持てないところ、何かを判断する時に自分がそう思うからそうなんだいいんだとスムーズに思えないようなところがあって。(自分を疑っている/たぶん他者の承認を得たいと心の奥底で思っている。←これは日本人らしい感覚かもしれない。)

ドキュメンタリーを学んできた自分には、どの作品ももちろんのこと、どんな人の考えも「主観」であると思っており、「客観的に見る」って相当怪しい概念だと思っていたが、もしかしたら「客観的」に近い体験ができたのかもしれない。その事実をかなり遠く突き放して見つめ直すというか。自分の場合は、あらためて、それがなんだったのかを言語化できた。ムカついた人物側(元彼)を演じながら、且つ自分役を演じてくれている方(若い男性だけど女性側を演じるのうまかった)を見ながら、わかった。例の場面(熱海の洋食屋でクリスマスを否定されるくだり)では、今まで好きだった気持ちがなくなったからといって人間扱いされなかったのが悲しかった(ムカついた)のだと思う。結果として振り返ると日常的にあの場単体だけではないよろしくない不均衡な関係性ではあったのだけど、特別な関係性(つきあっている)だったのにひどい態度をとられてムカつくとかではなく、「人間としての尊厳を認められなかったから」よりあんなに嫌だったのだと思った。

岩井さんの作品やゆうめいが好きなのもあり、大満足の体験だったけど、強いて言えば、今ではなくてもっとつらい時期(マジで家に引きこもっていた心が痛すぎた5ヶ月くらいの間)にやり、どう心の変化があるのか、が見たかった気がする。

また、今回の自分のエピソードは、何回も人に話してある程度既にネタとして抽出できる感じのまとまりのあるものだった気がするから、それ以外で、なんとなく嫌だったとかすごく嫌だったけどまだ要点がまとまってないこととかをしゃべって、それがちょっとした劇になる瞬間を見たいなあってちょっと思った。

つらいことにはグラデーションがあり、ある程度人に出せそうなレベル感のものは外に出せるけど、本当につらいことは出しづらいってのはあるかも。あるいは出すまでに時間がかかるとか。自分も「ことばの学校」で人生に起きた出来事とそれにまつわる言葉の冊子を作る時、笑いになりそうなものを選び、ただただしんどそうなエピソードは抜いた。(人に話せるエピソードと話せないエピソードも分かれるし、話せる人と話せない人で分かれます、この人には無理だなあ、とか。話す場合はかなり人を選ぶというか。エピソードの重さにもよるけど。)ただ、過去のWS参加者の方のエピソードの例で、激重エピソードでも劇化で違う印象にできた話を聞いて興味深かった。

これから実話を元に文章作品を書いていきたい欲求もあるので、学びになりました。あと、演じるの楽しかったー!人のも自分のも。(役者でないので演じることに慣れていないので)人のエピソードではまだ羞恥心があったが、、自分のエピソードでは思い切りできた。

(現実世界で自分にとって)憎たらしいやつをかなり生き生きと演じてしまった!!よく役者さんも悪役を演じるの楽しいみたいなこと言ってる気がするのだが、こういう感覚なのか?

人のエピソードでちょっと演じる(演出される)時間があり、わー演じるって楽しいけど羞恥心や体の使い方が慣れてないのもありスムーズにいかない!ムズい!って感覚を久しぶりに思い出したんだけど、よく考えたら大学時代に友人が主宰していた演劇サークルの公演に出た以来だった気がするわ、そゆことやるの。(別役実とかの。)あとコンテンポラリーダンスの授業、スタラニフスキーシステム?のロシア人の先生の体の使い方の授業、など、一瞬とっていたけど、もっと身体表現の授業いろいろとればよかったなー。今思えば。

昨日の劇の体験、振り返ると、ほんとじわじわ面白いなー。昨日の帰り道、駅から歩いて帰る間、かなりフフって笑っちゃったもんねー。

この世界は(受け取り手の感性にもよるでしょうけど)やなやつだらけだから笑いに変えていくしかないのかしら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?