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たゆたえども沈まず

私は来月、介護を辞める。
うやむやな理由で働き始めた今の会社は、同期もいないし、味方もなかなか出来ないし、入社当初から嫌な部分ばかり干渉されるような雰囲気を感じていた。
それに、色んな立場の人間の板挟みになって、消費される。
グレーゾーンだらけだし、利用者さんの家族はああだこうだ偉そうだし、何をしても悪態つかれるし、最悪!
絶対に辞めてやる!
見習い期間でさえ、その意思を強く持っていたし、タイミングを見ていた。


私が今いるフロアは、特別養護老人ホーム(特養)の中のショートステイ(ショート)というところだ。特養は一度入ると基本的に亡くなるまで出ることは無い。人によっては面会、外出も無いまま亡くなる方も少なくはない。
今の会社は、数日お泊まりして帰るショートステイと、特養の2つでできている。
ショートステイに入る半分の利用者さんは、いずれ特養に流れていく。

今日も、ひとりのお婆ちゃんが上の階へ上がる。
上がる時は基本、家族の意思で特養へ行くことが決まる。
昨晩わたしは、この人のお世話をする最後の日だと思いながら夜勤をしていた。
下の世話の最中、私をアッキーナと呼ぶお婆ちゃん。いつも通り口調は強いけど、今日は抜け殻みたいな顔をしていた。
「アッキーナって誰や〜笑、フジモンの嫁か?」
「そうやであんた、中森明菜やんか!」
「そーか、フジモンの嫁は中森明菜か、渋いな〜笑。で、なんで私はアッキーナなん?」
「そんなもん私は松田聖子よりアッキーナが好きやからや」
「ほな私はアッキーナがいいわ。どうもありがとうございました〜笑」
認知症の方を否定をしないように心がけているので、会話はいつもツッコミのいない漫才みたいになる。
もはや、利用者さんが気持ちよく漫才をする為に現場にいるといっても過言ではない、と思う....。
いつも私を呼ぶ名前は違うけど、この人は私のことを毎日忘れるけど、毎日漫才を続けていればふんわりと「この人は大丈夫」くらいには思ってもらえるものだ。
みんな忘れているけど、覚えてる。
100通りの認知症があるけれど、これは共通して言えることかもしれないと、経験で感じる。

朝になってもわたしはアッキーナだった。
夜勤が終わり、帰る前に挨拶しておこうと部屋に行く。
抜け殻みたいな顔をしてる。
「〇〇さ〜ん、帰るわ〜。上まで会いに行くからなー!待っててやー」と手を握ると、赤ちゃんみたいな力で優しく、モーレス信号でも打ってるみたいに何度も握り返してくれた。

「ありがとうな、あんたは誰からも愛されるで。頑張りや」

あぁ、この人のおかげでちゃんと最後まで仕事をしようと思えているんだなと思った。わたしは理由の分からない涙が止まらなかった。お婆ちゃんは目までマスクを被った。
そして残酷だなあと思った。
この人は死ぬまでここに居るのだ。外さえまともに見れないここで暮らすことを受け入れているのだ。
すごいことだと思う。

決断は変わらず、私は来月介護を辞める。
でも、またいつか介護の仕事をしたいと思う。
100人いれば100通りまだらな認知症。介護士はバタバタと忙しなく業務をする合間に100通りの対応を覚えていく。
紛れもなくすごい仕事だ。
そして、人生の大先輩と漫才をするのは、思っているよりも楽しいことだ。
いつか、マイナスを、ゼロにするのが介護の世界だと誰かが教えてくれた。でもマイナスをゼロにする中で、私たちはゼロからイチを知ることができる。
そのイチは、社会的なものではなくて、人間的なものだ。
わたしは、色んな人と手を繋ぐ様に生きていきたい。

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