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適当にやり過ごすというのは意外とコツがいる

年末の新聞でネガティブ・ケイパビリティという言葉を知った。

ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability):どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力、性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力

引用:「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 箒木蓬生著」

なんだかいい感じになって、流れで付き合ってはみたもののLINEの返事は激遅いし、デートにも遅刻してくる。

本当は私のこと好きじゃないのかな?
私が可哀想だから付き合ってあげただけ?
本当のところどうなの?
こんなに好きにさせておいてズルいよ。

はたまた、幸せの渦中でも「いつかこの幸せが終わるかも」という妄想に苛まれて突然関係を切ろうとしたりするなど。

こんなふうにぐるぐるぐずぐず悩んだ経験はないだろうか。人はどうしても結論を急ぐ生き物だ。

まだ望みがあるのか無いのか、
私を認めているのかそうじゃないのか、

恋愛に限らずあらゆる人間関係や将来設計なんかでもそうだ。

今日のプレゼンの私のあの態度、まずかったかな?
このまま婚活を続けて本当にうまくいくのかな?
この人よりもっといい人がいるんじゃないかな

わからないことをわからないままにしておくのはなんとも気持ちが悪い。そういう生き物だから。
だから人は結論を出したがる。

私にとってこの「結論を出さなければいけない」という自分自身からの圧力みたいなものがストレスだった。

20代前半くらいにネガティブ・ケイパビリティの概念を知っていれば少し人生が変わってたかもなぁと思う。

現代は(というか昔から?)
くよくよ悩んだり、立ち止まることがあまり良くないとされているように思う。周りから別れたほうがいいと言われ続けてるのに一向に別れず悩み続けてる女子や、そんな会社やめて転職しちまえと言われても転職する気配もなく愚痴を吐きながら会社に留まる子達の多いこと。

周りはやきもきするけど、これこそ自然な姿なんじゃないか。

白黒はっきりしていて、少しでも合わないと思えばすぐ別れて次を探すような子は仕事もできるし人生の展開も早く、見ていて気持ちがいい。

が、前者の全然うまくいかない人間たちこそ、私は見ていて人間らしいなと思うし愛着をもってしまう。



私の年始の抱負は毎年同じで「できるだけ適当にやり過ごすこと」なんだけど、コツとしては「自分の悩みも他人事のように考えること」です。

ここ数年でようやく分かったけど、答えが分からないことに対していくら悩んだり憤ったところでどうにもならん。他人事のように考えるくらいがちょうど良いと思った。

それに付け加えて今年は
なんだかもう全然どうしていいか分からなくて、結論も出ないし気持ち悪いなぁという時は、考えることを放棄するということをやってみようと思う。

春から育休も明けるしね!


それに伴い、私もまたいろんな悩みが出てくると思うけど、まぁのらりくらりとなんとかやっていきたいと思います。

2024年。
「あけましておめでとうございます」と気軽に言えるような年始では正直ないですが

全ての人が、それぞれの気持ちで、やり方で、日々やってくる日常を迎えられますように。

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