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広東語のシャワーと憧れの店を夢見て【香港編#1】

大学2年の2月。約2年所属していた体育会系の部活を散々悩んだ末休部を経て辞め、私は時間的にも身分的にも解放された。
久々の自由を手にして、まず思ったこと。それは、

一人旅がしたい!!!!!!!!!!!

だった。

行先は決まっていた。自由の街、香港。理由は二つ。

一つは大学の授業で広東語(香港で主に使う中国語の方言の一つ)をかじっていたから。
コロナ禍に陥る前は日本も観光ブームに真っ盛りだったので、ミナミにでも出ればのマンダリン(中国大陸の方の標準語)の音のシャワーはいくらでも浴びれた。でも広東語となるとなかなかそうはいかない。血の通った生きる言葉としての広東語を、体じゅうで一度味わってみたい。「唔該!(ありがとう!)」って超満面の笑みで言いたい。勉強を進めていくうちにそんな思いが募っていた。

もう一つは、憧れの文化屋雑貨店に行くため

1974年に長谷川義太郎氏が創業した本店は、ポール・スミスなど国内外に多くのファンを持つ、雑貨屋の草分け的存在である。普段私たちは「北欧雑貨」「インテリア雑貨」などのように、「日々を豊かにする日用品」という意味で「雑貨」という言葉を当たり前のように使うが、この概念を生み出したのも義太郎氏だと言われている。

文化屋を知ったのは、近所のヴィレヴァン。オシャレ本コーナーで偶然手にした文化屋雑貨店のファンブック『キッチュなモノからすてがたきモノまで 文化屋雑貨店』(文化出版局)を読むうちに、文化屋の放つアングラでカオスでポップでキッチュで何より「流行りなんか知るか!うちは売りたいものしか置かんねん!」という我が道まっしぐらな雰囲気にすっかり魅了されてしまっていたのだ。

しかしながら非常に残念なことに、東京・渋谷にあった店舗は2015年にしれっと店じまいしており、私がこの本に出会った頃には実際に文化屋を訪れる夢は潰えていた。
ああ、一歩遅かった。文化屋をこの目で見ることはもうできないのだ。そう思うと、それまでの人生で感じたことのないくらいの喪失感が混み上げてきた。

ところが、だ。

文化屋に行けない悔しさを忘れられないまま過ごしていたある日、文化屋の本を読み直していると、衝撃の事実を見逃していたことに気づいた。

香港にも、現役の文化屋雑貨店がある

本書曰く、ある香港人が文化屋を訪れた際にその雰囲気に感動し、義太郎氏に頼み込んで香港に文化屋の支店を作ってしまった、とのことだった。香港文化屋独自のセレクトの商品を置きながら、義太郎氏から文化屋グッズを仕入れて販売しているらしい。

なんと。憧れの文化屋が香港にて健在。それならぜひとも海を越えて行ってやろうではないか。

家族も遠出にお金を使うタイプではなかったので、旅行とすごく縁がある人生を歩んできたかと言われたら、答えはノー。最近のちゃんとした旅行といえば部活のオフ旅行くらい。1年の時に語学研修で上海に行きはしたけど、ほぼ集団行動が義務で、自分の憧れていた自由な旅とは程遠かった。

旅行のりの字も知らないし、海外旅行のノウハウもゼロ。それでも、急に沸き上がった香港への、そして文化屋への憧れが海外一人旅の不安や恐怖をいつの間にか軽く超えていた。

溢れるワクワクに押され、ほぼノリだけで航空券と宿を予約。
人生における基本スタンスが「まあどうにかなるやろ」な私は、まさかなハプニングに遭遇することも全く想像せぬまま、出発の日を迎えた。

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