人生で初めて45時間残業したら
結論:意外と慣れる、でも当然ながらやりたくはない
ここ2か月間は、タイトル通り毎日残業が続いて疲弊していた。
クライアントが提示した納期が明らかに無理なものだったとしても断ることができない立場の私たちには、毎日残業するしか選択肢が無かった。
客先の上司は、クライアントの前で「なんとかやり切ります」と言っているが、その後「現実的に無理なんだよなあ・・」といつも愚痴をこぼす。
正直、クライアントが依頼してきたことを何でも鵜呑みにするんじゃなくて「もちろん全力は尽くしますが、その納期であればここまでしか出来ません。どうしましょう?」と交渉したりしないのかなぁと思ってしまう。
しかし、私がクライアントと直接やり取りするわけではないし、上司の陰に隠れているだけの立場だから、そんな偉そうなことは言えたもんじゃない。自分が上司の立場だったら、できないと分かっていても「できると思います」って尻込みして口を滑らしてしまうかもしれない。
現場はクライアントから言われたことをいかに「早く・多く」こなすかといったことにだけ注力するため、カオス状態だった。毎日、「何を、どれだけ、どれくらいの時間をかけてやったのか」報告しないといけない環境は、細かく管理されることが苦手な私にとっては耐え難いものだった。
そして、段々と定時の概念は無くなり、8時に帰れたらまだマシで、遅いときだと9時半にようやく職場を出れる..みたいな時もあった。
上司にいたっては、毎日夜の11時頃まで残業して土日も献上していた。なんなら昼休憩の時間も仕事していた。
「45時間はまだ少ない方」「私はもっとやってるよ」という人はたくさんいるだろうし、8時に帰るって書くとそこまで酷い状況のようにも聞こえない。
しかし、今まで事務や契約社員として働いていた頃、ここまで常態的に残業をしたことが無かった私にとっては、かなりしんどかった。
帰宅時、職場のオフィスビルから最寄りの駅に行くまでに繁華街を通らないといけないのだが、金曜日の夜なんかは飲み会終わりの人たちが楽しそうに笑っている光景によく出くわした。
この人たちが楽しく飲食している間、飲み放題が始まってから終わるまでの大体2~3時間くらいだろうか、その間私はヘトヘトになりながら働いていたのかぁと思うと少し寂しくなった。
ただ、最初の1~2週間は「もう8時なんて!遅すぎる」と思っていたのが、段々と「8時か!早い方だな、よし」と思うようになってきている自分もいた。
それは、残業することに対してポジティブになったということでは決してないが、ある程度の耐性が付いたのかなとも思う。それに、職場の人間関係がそこまで悪くないことも大きく影響しているだろう。
客先の上司は、少なくとも「遅くまでごめんね、ありがとう」という言葉と態度を示してくれる。それだけでかなり違う。それは有難かった。
今は、先月に比べるとそこまで酷くはなくなったが、やっぱりこのままじゃ駄目だよなぁという気持ちは日々強まっている。
今まで、どんな職場にいても「このままじゃ駄目だ」、「もっといい場所があるんじゃないか」という気持ちが常にあったが、これはもう自分の特性らしい。INFPは理想主義者らしいから、それが要因なのかもしれない。
どこに行っても「このままじゃ駄目だ」と思うのであれば、少なくとも今の現場が終わるまでは頑張ってみたい気持ちもある。そして、仕事以外の人生も充実していないから、根本的に満たされないんだろうなという考えにもなってきている。
ついこの間、「私っていつかは必ず死ぬんだよな」という考えがふとよぎった。お風呂に入ろうと思って、パジャマを持って洗面所に向かっている途中のことだった。
死ぬのが怖いとか、仕事がしんどいからネガティブな気持ちが溢れてきたとかそういうことではなく、絶対に動かせないその事実について考えてみたのだ。
物事に絶対はないというけれど、「人は必ずいつか死ぬ」、これだけは100%
起こることだ。誰にも避けることができない。
それって、どういう感じなんだろう?
と、パジャマを持って洗面所で突っ立ったまま考えた。
夜、布団で眠りにつくといつの間にか意識が無くなっていて、次に目を覚ました時には朝になっている。それを当然のこととして私たちは受け入れているが、もし目を覚まさずにそのままだったら?
そんな感じだろうか?
今日は昼ご飯なに食べようとか、
お気に入りのあの芸人、今日はゲーム配信やるのかな?とチェックしたり、
暇だなあ、とか、趣味見つけないとなあ、と鬱屈と過ごしたり、
そんなことを考えることすらできない、何も感じないし、社会で何が起きているのか知るすべはない。空想の世界で表現されるような、うっすらとした幽霊になって現実世界を徘徊することなどないし、空の上から見守ることもない。(見守ってくれていると信じたいが)
自分の人生が終わったら、
あの人どうやって過ごしてるのかな?とか、
あの漫画の続きどうなった?とか
そんなことは分からないし、「そんなことは分からない」と思考することも無い。一切の無。この世に存在しない。
そうして果てのない無についてふと想像したら、ジェットコースターに乗った時の落ちる直前みたいな、心臓がキュッとなるようなそんな感覚になった。
やっぱり、経験したことのないものや想像もつかないことに対して人は(少なくとも私は)恐怖を感じるようだ。
そこからたどり着いた結論は、少しでも人生を豊かにしたいということだった。
人生を豊かにするには人的資本、社会的資本、金融資本の3つが大事だと聞いたことがある。
要は、自己成長、人とのつながり、お金、ということだ。
どれも自分には足りていないというのが正直なところだが
今、自分にとっては社会的資本が圧倒的に足りていない。
人と関わること。
毎日、職場と家の往復で言葉を発することがあまりにも少ない。
2~3ヵ月に1度友人とご飯に行くのだが、そこでたくさん話すと楽しいし、満たされた気持ちになる。
そういった機会をもっと増やせばいいと思うのだが、友達が少ないし職場の人以外と関りが一切ない。
自分は大人数でワイワイすることは苦手なのだが、だからと言って今後の人生誰とも関わらないで幸福を感じることは難しいと思う。
仕事が嫌というのも常々思っているが、職場に一人でも優しい人がいて、その人と血の通った雑談でも少し交わせば、日々に少しだけ彩りが加わる。
なんだか意図せずミスチルの歌詞みたいなことを書いてしまったが、今の職場では表面的な会話しかされないので、職場以外の人間関係を広げたいなと、今はそう思っている。
人生を、豊かに生きたい!