モヤっとは価値観に気付くチャンス

「自分は今後の人生をどのように生きていきたいのだろう」と、最近よく考える。その時に必要となるのが、「自分はどんな価値観を大切にしているのか?」ということだ。

世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方の著者である八木仁平さんは、「社会に対して腹が立つことは何ですか?」という問いに対する自分の答えから、自分が大切にしている価値観が分かると言っていた。


色々考えたが、その問いに対する自分の答えは今のところ以下の通り。


いじめが原因でこの世を去ってしまう若い人たちがいる。
これから先の人生まだまだ色んな可能性があっただろうに、あまりにも理不尽な理由でいとも簡単に彼らの可能性を奪う人たち、そんな環境。そこにやるせなさと同時に怒りを感じる。

学校というのは本当に狭い世界なのに、若い彼らはそれを知らないまま、外の世界がいかに広いかを知らないまま、去ってしまう。誰も彼らの可能性を奪っていいわけなどないのにと、そう思う。

私は別に何か偉そうなことを言える立場では決してないが、これだけは書いておきたいということがある。

それは、もし学校という世界に絶望を感じている人がいるのならば、その世界は数ある小さい世界の中の1つでしかないということだ。それなりに大人になってくると、次に行く世界は自分の意思で決めることができる。それに、卒業したら同級生と会うことは無い。所詮その場限りの関係なのだ。自分も、学生時代の友達1人を除いては大人になってから1度も誰とも会っていないが、何の問題もない。


この記事ではあくまでも価値観について書きたいので本題に戻る。

この怒りから導き出されるキーワードは「可能性」だ。
自分は常に可能性を信じていたいタイプなのだと、そう思う。

自分の可能性だけではなく、誰かが新しいことにチャレンジしようとしていたら、私は全力でそれを肯定する。

ただ、別に価値観を1つに絞る必要は無いと思っている。可能性を求めて生きる、などと言うと挑戦に満ち溢れた人生を過ごしたいかのように聞こえるが、ただただ「穏やかに過ごしたい」という気持ちも持っている。

恐らくこれら以外にも大切にしたい価値観がまだありそうなのだが、よく分からない。もう少し深堀りするにはどうすればいいだろうと考えた結果、日常生活や仕事中にモヤっとした時こそ答えに近付けるチャンスなのでは?という結論に至った。

例えば、誰かの行動や言動に対してモヤっとした時に「あ、今モヤッとした。なんでだ?自分の中のどんな価値観に反した行動を取られたからモヤッとしたんだ?」

と考えるようになった。

これが案外気に入っている。というのも、誰かの行動に対してただモヤモヤするより、そこから導き出される自分の価値観について考える方が楽しいし、何よりネガティブな感情が紛れる。

それに、自分の価値観だけではなく周りの人の価値観を考えるきっかけにもなる。

例えば、私の職場に自分の意見をハッキリ言わない人がいる。
私はどちらかというと白黒ハッキリ付けたいタイプなので、意見をうやむやにしている様子を見るとどうしても少しモヤッとしてしまう。

そういう時に、「ハッキリしないなぁ(モヤモヤ)」で終わるのではなく「この人が大切にしている価値観って何だろう?」と考えるようにすると意外と楽しくてポジティブな気持ちになれる。

もしかしたらその人は「正確であること」を大切にしていて、自分の意見が間違っているかもしれないから明言は避けたいと思っているのかもしれないし、意見を固める前に色々情報収集したいのかもしれない。

自分は何でも直観的に決めてしまうので、思い付いたことをパッと言ってしまいがちだが、決断することに慎重な人も当然いるだろう。

そう考えると、人それぞれ価値観って違うんだなあとしみじみ感じる。

こんなことを言うと、あたかも「人に対して感じるモヤモヤを私は全てポジティブに変換してますよ」みたいに聞こえるかもしれないが、そうでもない笑

モヤッとした瞬間に「価値観!」と一旦心の中で叫んでその人の価値観を探そうと試みるが、それでもモヤモヤが勝つ場合はそれはそれでしょうがない。

その時は、そのまま心の中でその人にドロップキックをお見舞いしてやる。
それでいい。

とりあえず、「こんな風に生きていきたい」というイメージをもう少し具体的にするため、今後もモヤッとした時はなるべく価値観について考えていきたいなと思う。


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