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大事なのは意志ではないか

小説、百年の孤独、読んでると、人がガンガン死んで時代が移り変わって。人間1人の命なんて大したもんではないなぁ。と思うわけだが、僕にとって僕の人生はやっぱり大事なものであって。これこれ、こーゆう人生でしたと。やっぱりイイ感じのものにしたい。んで、大事なのは意志、なのではないかと、思ってん。なんて。大して考えも深めずに、とりあえず書き出す。意志があるか、ないか。時代とか、会社とか、妻とかの圧力とかに、流されず、自らの意志を持てるか。そいつを行動に移せるか。たとえばー。断固ブックカフェをやりたい、とか。いや、べつにやりたくないけど。確固たる意志で脱サラして、本屋とカフェやって、失敗して死んだとして。まあ、それはちゃんと自分の人生を生きてはいるのではないか。成否ではなく、大事なのは意志と行動なのではないか。幸福/不幸の尺度でなく。歴史的に生きてるって言うには。その意志を持つのが、難しいんだよな。本とコーヒー好きだからブックカフェ、みたいな。そんな甘いもんじゃねぇし、浅い志望動機で成功するほど、世の中甘く無いでしょうが。安直すぎて本気になれない。でも、思考の浅さ、深さも関係なく。本気になった奴が勝ちなんじゃないかなぁ。頭でっかちで高度なロジック、哲学を必要とするのは、むしろダメなんだろう。ブックカフェってマジ最高じゃん。やろうぜって、シンプルに本気になれる奴が、むしろ強いんじゃないか。失敗して人生終わっても、自分の意志で生きてる感じが、小説になるよなー。アレコレ理由つけて、安直に安全に生きてるのが、一番小説にならないよなァ。この安全めに生きてるサラリーマン生活から脱線するにあたっては、相当な動機が必要なのだが、結婚と同じく(?)年齢を重ねて理性が身についてしまうと、人生的な決断は、色々と頭と身体が重くて、しにくくなるものです。結婚と同じく(??)人生的な決断は、頭のネジ飛んでる人間しかできない。理性的になったら、俺なんて結婚しようって思わないもんな(???)。理性を解放できないから、自分の意志と会社の意志をなんとかアジャストして、理由こねくり回して、人の雑用みたいな仕事で、安全な場所で日銭を稼いでいるのだ。運命的な流れに乗って得られた、思わぬ知見、経験も尊いけど、自らの意志もたまには出してあげないと、あっというまに歳をとってしまうなぁ。ビジネス的には、自発的キャリア/偶発的キャリアのバランスが大事、などと言いますが。自発的に偶発の波を乗りこなす、身のこなしが必要ですな。夕方、昔の曲を聴いたら、なんつうか、生きてるって感じてた頃の五感が蘇ってきた。夕焼けとか、好きな人が住んでる街の景色とか。生きてるって感じる生き方をし続けたい。んだけど、頭でっかちの僕は、生きてるって感じをちゃんと言語化しないと、それがなんなのかも、わからない。昔を振り返っても、そこにはなにもないだろうし。などとまた知ったような口を聞いて、何処にもいけず、明後日から仕事が始まる。1239文字 

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