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制約が僕に力を与える、のか?

連休に入ってからは特に生活リズムがだらけて、5時起きができなくなっている。子どもたちもそれなりに早起きなので、6時起きでは朝文章を書けない。自由研究やら、旅行の片付けやら、色々ある。子どもが咳してるから、いちおう病院にも連れて行った。書くのが当たり前の生活であるから、一日、書かなきゃなァという、引っかかった気持ちで過ごすことになる。今日は、くもんの宿題交換という息子の雑用を引き受けることで、なんとか一人、外に出る口実を確保できた。台風が迫るなか、帰り道、近所のスタバに寄って、スマホで文章を書き始める。ほっと一息。19:30、ようやく自分の時間。本も読みたいけど、時間は限られている。せいぜい30分程度。アウトプットの方が優先順位が高い。限られた時間で、自分で落とし所を調整できるし。そんくらいの分泌、文筆活動。分泌。誤変換で出てきたけど、これは中々良い。脳汁を分泌しているから。ちょっとした時間で済ませる脳汁の分泌活動。本業ではないわけで、これくらいの距離感がちょうどいいじゃないかと思う。始めた当初より随分肩の力が抜けた。特に連休中は、じっくり書く時間が取れず、スキマでも、低級品でも、とりあえず分泌する活動ができた。結果自分の中でハードルが下がって、書くスピードが上がった。アクセス数を気にする時間も減った。ありがたいことに、アクセスは増えてるけど。仕事始まっても、こんくらいの存在感でありたい。絶対やるけど、楽にやる。金もらっている仕事とは違うのだ。連休も残すは土日のみ。結局、会社のことは何一つ、考えられなかったな。みんなそうだと思うけど、仕事と人生を近づけるのって難しい。生き方と働き方ってどうしてもズレてくる。やりたいことを仕事に、とか、そーゆうことではなく。このお盆の過ごし方が、そのまま仕事に繋がっていくような。じゃないと、ただの気分転換で、仕事に戻ったとき、記憶を呼び起こすところから、世界をアジャストするところから始めないといけないのだよな。んで、そのうち、お盆モードの自分なんて、忘れてしまうんだ。その使い分けと、調整が面倒くさいし、とてもコーリツが悪い気がする。さらに言えば、お盆の僕だって、家族に縛られてるわけで、本当に自分らしい僕って訳じゃないんだ。とか言い出すと、話がどんどんややこしくなってくる。僕は結局一人なのだが、AB型だからかな?自分の種類を数えてしまって永遠に本当の僕は見つからない。イメージ的には、お盆も仕事も、ずーーーっと一人で、本読んで、物書いてって出来たら僕っぽくてサイコーだけど。それは単純に今、自分の時間なさすぎるから、そーゆう時間が欲しいだけで。たぶん、1週間で飽きるだろうな。いや、1ヶ月は飽きないかな?いや、意外と一生、飽きないかな?わからない。いずれにせよ実現は難しい。って考えてる間に30分経って1200時を超えた。書き足りない。だから明日も描きたくなる。制限が僕に力を与えてるとも言える。そうなのか?わからない。1260字

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