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100日連続投稿して、考えておりますこと

投稿日数、今日で連続100日であった。もっと嬉しいかと思ったけど、まァ、粛々と、今日も明日も、書くのみである。何度も書いてるけど、僕は文章で内省することに関しては自称20年のキャリアがあるから、苦ではないのだ。むしろ文章を書けば書くほど体の調子が良くなる。何冊もの大学ノートを真っ黒に書き潰し、mixi、はてなブログでも文章を書いてきた。呼吸をするように、小便を出すように、文章を書いてるわけで。止めると苦しくなって死ぬ。呼吸が、あるいは小便が、連続100回に達しました、と言われたとて。明日も明後日も、同じ動作をするのみである。本をいつか、書ければいいな。と想う夜もあるが。自らの呼気や体液に値札を付ける厚かましさも、社会に出て薄れてしまった。まず、僕のため文章を書く。只、書くことに意味があるのであって。大義も哲学もSDGsも要らない。ただ、気持ちよく出来ればと思う。じょうずに出せると気持ちいい。それだけだ。その鍛錬を日々している。もちろん褒められると嬉しい。すごく嬉しい。いつも本当にありがとうございます。いつの間にかアクセス数とかも増えてね…。僕の100%の自意識が。100%の自意識だからこそ。そんなものが、誰かに届くというのは、ヤベェことだなァと思う。自分を掘ったら、世界と繋がってしまったというか。ビックリな体験をさせていただいております。そもそも始めたときは、高頻度で更新しよう。とだけ決めてて。具体的なプランはなかった。自然に2日目、3日目、ときたときに、あ。これは毎日だな。と思った。やってもやらなくてもいいなら。そんなん、別に、毎日やらなくてもいい日なんだから。義務もないし。誰からも頼まれてないし。お金も発生しないし。やんなくていいからこそ。やると決める。苦ではないし。むしろたぶん、自分の生理的に、必要なことだから。自分で腹落ちして決めると、僕は結構シツコイのだ。懸念点は、毎日投稿による品質のバラツキであった。けど、ジコ評価がズイブン当てにならないと、何本も投稿しながら学習した。俺がどーでもいいと思ってるテーマも、書いてみたら大事かもしれない。逆も然り。よくわからん。じゃあ毎日、とりあえず好きに書いてみればいいのだ。最近、会社でも文章を書いて、それで金をもらってたりする。でも。僕にとってはこっちのほうが本質的で、生命維持に欠かせない生業なのでした。んな訳で、明日からも粛々と自己鍛錬をするのみです。次の節目は丸1年のときですかね。1033文字

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