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いやなやつになったね


 わたしは直接、否定的な言葉を吐かれた経験はあまりない。
あまりないが、言われて良い気分にならないことは明白だし、メリットがないので直接でなくとも言わない。そういう言葉は自分にいつか返ってくると思っている。
 だから、どんな否定的な言葉も使わなかった。特に人に関することには。
 全く言わなかったわけではない。絶対に繋がりがない人に愚痴ったりはあるが、少しでも繋がる可能性があるような人には決して言わないようにしていた。いつその人に繋がるか分からないから。
 特に大学1~2年の時は、誰も信用していなかった。
 本心を打ち明けて相談したことは一度もなかった。本心が言えたのは幼馴染や高校の数少ない気心が知れた友人、あとは家族だけ。

 最近は、前より本心をより混ぜて話すことができるようになった。以前よりは信用しているから。以前よりは自分のことが好きになったから。自分のことが前より好きになったきっかけは、ちょっと色々あったがまた別の話だ。
 前は自分のことが嫌いすぎて、他者にまで嫌われたら存在意義が本当になくなってしまうと思っていたのだと思う。嫌われる勇気がなかった。だから自分のほとんどを殺して接していた。そのせいで自分の本心が霞んでいた。今考えたらよくあのメンタルで生きて学校に通っていたな思う。その時は辞めるとか、行かないとか選択肢すら頭にないんだけど。
 でも今は、心が元気な時には別に嫌われても良いしなと思って自分から100主観の言い返しができる時もある。元気じゃない時は絶対にできないが、前は絶対できなかったことだからそれができるようになった自分に少し誇らしさを感じる。すごい。えらい。前より生きやすくなってるね。

 ただ、約20年かけて培われたこのマインドを、2年ちょっとで全て変えるのは難しい。

 たまに誰かの意見に反して「まあ、確かにそうかもしれないけれど、わたしはそうは思わないけどな(限りなくやんわりとした表現)」と口にすると、


「いやなやつになったね」


 と、過去のわたしに囁かれるのだ。

 大抵そういうわたしがあらわれるのは心が元気でない時なので、精神的に来るものがある。確かにな。以前のわたしなら言わなかった。自分がどう思っているかは表現せず、「なるほど。あなたはそうなんだね」で終わっていた。
 昔も意見を求められれば多少は言っていたが、全ては言わなかった。今でも別に全ては言っていないが、昔伝えていた本心の割合はティースプーン1杯にも満たないぐらい。ほとんど味がわからないくらい。そんな味付けしかしていなかった頃のわたしに、後ろで囁かれる。
 今の方が生きやすい。今でも頭ごなしに否定するような言い方はしない。わたしは本来こういう人間だから、嫌われようが別に気にする必要はきっとない。
 ないと今のわたしは信じているけれど、未だにわたしの中にいる過去のわたしに耳を傾けると、そんな感情や言葉ばかりが見えてくる。

 それが疲れてどうしようもないのだ。



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