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退院、病気が教えてくれたこと。

待ちに待った退院

8月19日。退院が許可された。排液がもう十分にでたということだ、ドレーンを抜き、抜糸をしてもらった。退院手続きを済ませ、夕方に旦那が迎えにきてくれた。

12日間の入院生活。部屋は個室に入れたので痛みが落ち着いてからは、音楽をかけながら普通にパソコン仕事をしていた。病院のパジャマではなく私服のゆるいカッコで腕も真っ黒に日焼けしているし、健康そうに見えたのか、

看護師さん「警備員にお見舞いの人と間違えられましたね笑」
私「ガッツリ病人なのに」
なんて笑い合って、看護師さんたちに見送られて退院した。

乳頭復活の感動

私の左胸は今エキスパンダーというパック?が入っている。月に1度程度外来を受診して、生理食塩水を注入し皮膚を伸ばしていくらしい。

入院中は先生が「良好です、うん、綺麗ですね」と診察してくれたが、自分的には硬く感覚がない状態で、違和感満載でまだ慣れなかった。術前に一例を写真で確認していたが、傷もバッサリ入っているし、まあ痛々しい感じではあった。

発覚当初から自分の胸がなくなる怖さは不思議となかった私。術後は温存した乳頭の血色が悪く、先生の指示で毎日軟膏を塗って様子を見ていた。するとだんだん血流が戻って綺麗なピンク色へと変化するではないか!「色が復活したんですよ、先生!」と、嬉しくなっていた自分がいた笑。人間の皮膚ってすごいのね。とすこぶる感動したのである。

帰宅後、ゆっくり右の胸を見て、おっぱいって綺麗な形しているもんなんだなあと、45年付き合ってきて初めて思った笑。正式なシリコンを入れるまでには半年くらいかかるらしいがこれにも次第に慣れてくるものかしらね。

今後の治療

次回の乳腺外来では今後の治療方針が決まる。ホルモン治療をすることは決定している。副作用は生理を人工的に止めるので、いわゆる更年期の症状が出る。年齢的にそのまま閉経するであろうこと。妊娠(排卵)は不可能とのこと。の説明は受けている。あとは抗がん剤治療はまだ未定。こればかりは決まったら考えることにしよう。

更年期のことは、どのくらいの副作用が出るのかまだわからないけど、小さな広告会社の経営者としておじさんくさいことに脳みそを使ってきた20年。今更女性らしさ?に関しては気にしてないけど、ただイライラを人にぶつけるような意地悪おばちゃんにだけにはならないように気をつけなければ。。

最後の最後に胚盤胞

途中で、胚盤胞移植には挑みたいとは思っている。もちろん主治医の許可が下りないとできないし、数年間だけ薬をやめて、エストロゲンをその時だけ上げる必要があるため、様々なリスクがあるのは承知の上で決断をしなければならない。

自分でも驚いたことに、乳がん発覚から手術前まで2回の採卵のうち、最後の採卵で胚盤胞ができた。乳がんの術式が決められず、現実逃避したくなり一人で2日間連日で無心で山登りに行ったすぐ後だった。
いつになるのかわからない移植。不妊治療している人はみんな同じだと思うけど、自分の凍結胚を無駄にできる人なんて、いないと思う。

乳がん発覚から手術を受けるまでの期間は、死の淵を歩いているような、妙な感覚の時期もあった。
しかし、今、入院し乳腺外科、麻酔、形成の先生に手術してもらい、毎日看護師さんのケアを受け、旦那や友人の存在に励まされ、仕事仲間にフォローしてもらいながら、私はこうして生かされている。ガンの告知を受けた「絶望」が術後の今は「希望」に変わっている。

人間は思うよりずっと逞しいということを、がんはさまざまと私に教えてくれた。するとこの一連に意味があったようにさえ思えてくるからまた不思議である。

全てはバランス

刺激や変化を求めがちで「自分さえ頑張れば全てうまく行く」と暴走してきた20年。今思えば、何をあんなに必死に追いかけていたのだろう。仕事以外に興味は全くない時期だった。

ココ・シャネルの覚悟を表した名言がある

「仕事のためには、私は全てを犠牲にした。恋でさえ犠牲にした。仕事は私の命を貪り食った。」
何かを成し遂げるためには、何かを諦めなければならない。リスクとリターンは常にトレードオフの関係にあるだということだ。

読んだとき、グサーときた。

「日曜日は嫌い」と生涯仕事一筋でシャネル大帝国を築き上げたココ・シャネルがどれほどの犠牲を払って努力したのかは想像に難くありません。

子どものことを考えると「もっと早くすべきだった」と胸が苦しくなる格言だ。ただこの20年を後悔しているか?といえば後悔ないのがこれ不思議。自分の選択に自信と責任を持ちたいし、正直この性格はもう変えられないし、私のようなのは、もう一生仕事人間なんだと思う。

先日亡くなられたファッションデザイナーの森英恵さんも「仕事が面白い」と感じることが、一番の健康の秘訣だったと。7人のお孫さんに囲まれながら、とても素敵な人生を歩まれた。体力とのバランスなどを考えて、これはぜひやりたいというものを自ら選択きたという。

結局は、全て「バランス」なんでしょうね。

病気が教えてくれたこと

退院して、その晩は入院中食べたかった牛丼とローストビーフのサラダを作って食べた。犬がくれくれと私と旦那の間に入ってくる。いつも通りだ。私がお風呂から上がると犬と旦那はソファで同じような格好で寝落ちしている。これも、なんの変哲もないごく普通の日常笑。

病気が教えてくれたこと。限りある人生の中で「自分にとって一番大切な時間は何か」気付けたこと。家族のいる安全な場所で、日常を過ごせること。それだけであぁなんて幸せなんだって思えるのだ。私のかけがえのない愛おしい時間。

今夜は、教えを受けた稲盛和夫さんの「生き方」を読み返してみようかな。多くの人の手を借りて生かされた第2の人生を大切に生きてみたくて仕方ないのである。

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