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デザインということば

"freedom"が日本語で「自由」と表記されたのは明治の始まりごろだと言われている。この頃の学者や知識人たちは、西洋の思想を日本人に伝え、広く取り入れるために外来語を表す単語をたくさん作り出したらしい。当時は情報を伝える手段は直接会っての対話か、文字に書くことくらいだっただろうから、学者のように外国語のできない人に向けて訳語を作ることはとても合理的で自然なことだ。

私はデザインを学んでいるので、デザインという言葉をよく使うのだが、デザインと書くだけでどんどんカタカナが増えていくので、ときどき違和感を感じる。ほら、こんな風に。

見た目だけではなく、デザインという言葉が、最近巷に溢れかえっているカタカナ英語と同列に感じてしまうのも嫌だ。もちろんそういった言葉を使う人を否定するつもりはない。できるだけ正確に自分の脳内を表現しようとしているだけなのだから。でも、デザインは日本語に訳そうと思うと、とても難しく多くの意味を持った言葉なのに、と感じてしまうことはある。

だから、designという言葉がもっと早くに輸入されて、素敵な造語に訳されていたら、なんて思ってしまうことがある。

多くの意味を持っているとは書いたが、これは私の中や、「デザイン業界」という狭い世界の中だけでの話かもしれない。よくSNSなどで「このデザインがかっこいい/かわいい」などと書かれていると、とてもモヤモヤする。

デザインは見た目を作るだけのことではない、というのが私の考え方だ。そもそも、英語のdesignには、(いわゆる見た目を)デザインするだけではなく、「設計する」「立案する」といった意味も含んでいる(ウィズダム英和辞典による)。

学校の授業では、見た目を美しくするだけではなく、企画の構想から考えるし、教授や講師の方もその道のプロだ。考え方が良いということは、それだけで価値になるし、デザイナーにしかできない発想があると信じている。

見た目を考えるにしても、例えば人が手に持つものなら、持ちやすいか、持ち方はすぐにわかるか。持ったときに誤ってボタンを押したりしないか/持ったままでも押しやすいか。軽く感じさせるための重心の位置、などなど、ぱっと思いつくだけでも考えなければならないことが山ほどある。しかも大体のものは工場で作られると来れば、それが実現可能な形なのか、という問題もある。

色だって、どういう色なら人の目にとまる/視界の邪魔にならないか、太陽光にさらされたらどのくらい褪色するか、大量に売り場に並んでいて買ってもらえる色なのか。

(上記のことを私がいつも意識しているわけではない。もちろん考えて作らなければならないが、残念ながらできている自信はない。この文章は自分自身への戒めでもある)

デザインと一口に行っても、こんなに考えていることがあるのだから、デザインがいいねと言っているのを見ると、ものすごく抽象的な褒め方だと思ってしまうのだ。

あなたが良いと思ったのは、コンセプト?それとも色?形?表面の質感?物が持つ雰囲気?使いやすさ?

日本では、デザインはオマケというか付加価値みたいなものだと思われているなと思う。というか、それすら自意識過剰なのかもと思ったりする。

私が生きている間に、デザインがありとあらゆる物を作る上で必要なことなんだと、もうすでに必要とされているのだと、私が生きている間にもっと広く認識されて欲しい。

できれば、私自身も、デザインがもっと生活を豊かにすると伝える人のひとりでありたいし、それを作る物で伝えられるデザイナーになりたい。

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