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はじめまして。中山真敬と申します

 みなさんはじめまして。就労継続型支援B型事業所「Growin'」で働いている中山真敬(なかやま まさたか)と申します。今回は私の自己紹介などさせていただきたいと思っております。

 私は、1965(昭和40)年12月31日生まれ(大晦日!)。ちょうど今年の年末で55才(昔の定年退職の年!)になります。約20年前から執筆活動を行っており、代表作に『次世代インターネット』(東洋経済新報社)、ベストセラーになった75万部超の『たった3秒のパソコン術』(三笠書房知的生きかた文庫)などがあります。

 ここまでの20年、それなりに順調なスタートではあったのですが、3年前の2018年1月6日(土)、アテローム血栓性脳梗塞という病気に罹ってしまいました。あいにく当日は、成人の日をはさむ三連休で、通常の病院はお休みです。夜、ウォーキングから帰って、パジャマに着替えようとすると、突然左手が痺れて、ボタンが留められなくなるという状態に陥ってしまいました。(これはまずいことになったなあ……)三連休なので、急遽病院に電話をして入院するということも思いつきません。連休が明けたら、急いで病院に行こうと、軽い気持ちで考えてしまいました。ところが、日に日に症状は重くなっていきます。まず店頭で、店員に話しかけようにも、ろれつが回らなくなって、言いたいことが伝わらないようになってきます。そして、めまいがし、よろけるようになって、転ぶと起き上がるにも大変な苦労をして立ち上がらないといけません。

 こうして三連休が終わった1月9日(火)朝、家内が会社の寝室までやってきました。そして救急車のサイレンがけたたましく鳴り響き、姿を現したスタッフの方から、「どういう症状か、教えてもらえますか?」と尋ねられました。ところが、本人としては、意識も思考もハッキリしているはずなのに、口に出して説明しようとすると、ろれつが回らなくてうまく説明できないのです。途中でスタッフの方から「もういいですよ」と遮られ、そこから聖マリアンナ医科大学病院に担ぎ込まれました。本人的には、「これで安心。助かったんだな…」という軽い気持ちだったのです。

 病院に担ぎ込まれるや、ベッドに寝かされ、さまざまな検査が行われました。ロスバスタチンやクロピドグレルなどの治療薬を飲まされ、集中的な治療が施されておりました。家内から聞いた医者の方の見立てによると、「アテローム血栓性脳梗塞です。血管がドロドロになって、細くなって詰まってしまったのです。脳の動脈流が8センチも詰まって流れなくなってしまっていますね。今、治療にあたっていますが、生存できる確率は五分五分。万一の場合も覚悟しておいてください」とのことでした。この後、小2になる娘に事実を告げるや、娘が半狂乱になったそうです。

 入院生活から3日間が経過し、病院では毎朝夕、脳の血流検査・手足の動作チェックなどが行われます。生存確率が五分五分とされた私でしたが、奇跡的にも体力が回復し、一命をとりとめることができたのです。

 とはいえ、いいことばかりではありません。特に、ろれつの回らなさ。言いたいことを言おうと思っても、言葉がひどすぎて、何を言いたいかわからない始末なのです。そこから徐々にではあるものの、良くなってきました。

しかし、「回復できるのは、発症後、1年以内」とされており、「もうこれが限界なのかな…」と不安に思う気持ちはあります。ただ、脳梗塞に罹られた患者の方々ともども、病気に遭って、不安でいっぱいの方に、これを読んで少しでも元気が取り戻せればと思って、日々の改善点を日記にしてつけることにしたのです。これが、「脳梗塞・Tさんの悪戦苦闘日記」というわけです。

 脳梗塞にかかりながら、悪戦苦闘して、日々、成長したこと、改善できたことを日記にして著す、そんな感じでみなさんに勇気を与えられればなと思います。どうぞみなさん、よろしくお願いいたします。




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