大地のなくなる日
耳をつんざくようなサイレンが鳴り響き、町内放送が流れてくる。
「市民の皆様、本日の昼をもって、大地がこの地球上から完全に消失します。これより、この世界は空と海だけとなります」
もうあと1時間しかない。いったい、どうすればいいんだろう。わたしは不安でたまらず、捕らわれて動物のように、部屋の中をただ、うろうろするばかりだった。
「そうだ、テレビをつけてみよう。ニュースをやっているかもしれない」
痩せこけた、いかにも学者ふうの老人が淡々と語っている。
「本日、昼ちょうどに、わたし達のこの地球は大転機を迎えます。大陸は砂のように崩れていき、踏み留まることのできる土地は、どこにも存在しなくなるのです」
「すると、われわれはどこへ行ったらいいのでしょうか」ホスト役の女性が尋ねる。
「そうですね、水の中、あるいは空しかありますまい」
別の局ではクラシック・コンサートを放映していた。曲は、マーラーの交響曲「大地の歌」。
「生は暗く、死もまた暗い」テノールが呼びかけるように歌うと、それに応えてソプラノが「永遠に……永遠に……」と繰り返す。
リモコンの選曲ボタンを押し続ける。
お笑いタレントが招かれ、司会者に意見を求められていた。
「いやあ、いきなりの世界終了。驚きましたね。タケシさんは、どう思われますか?」
「どうもこうも、しゃーないわな。だって、おれらにゃどうにもなんないもの。いつかは、地球だって終わっちまうってわかってたろ? 何万年後か何十年後か、そんなのわかんねえけど。それが、今日だったてだけのことだからさっ」
テレビを消してソファーにもたれかかる。
町中がパニックになっていそうなものだが、不思議なほど外は静かだった。
「そうだよね、いまさら騒いだところで仕方がないし」わたし自身、すっかり現実を受け入れていて、いつ「その時」が来てもかまわないと思っている。
「タケシのいう通り、今日がたまたま最後の日なんだ。まさか、自分がそれを見届けようなんて、想像もしてなかったけれど」
デジタル時計は、11:50を表示していた。
あと10分か……。
どこからか、歌うような声が聞こえる。ヒバリのさえずりにも似た、耳に心地よい声だ。
「高く、もっと高く。いらっしゃいな、この広く澄んだ空へ。そこがあなた方の新しい住みか。あなた方の永遠の国」
どこかの家から漏れているのかと思ったがそうではなく、文字通り、空からの調べだった。
その歌声に誘われるように、今度は地の底から水のほとばしるような音が始まる。時にはごうごうと激しく、時にはさらさらと優しく。
やがて、涼しげな声となって地上に響き渡った。
「深く、もっと深く。おいでよ、この透き通った海へ。こここそ、君らの帰るべき場所。君らの安住の世」
2つの音色は混ざり合い、ハーモニーとなって訴えかける。
じっと耳を傾けているうちに、鳥になって舞いあがる姿、魚へと姿を変え、潮に身を翻すさまがありありと浮かんできた。
ふいに、わたしは二者択一を求められているのだと気づく。世界が変わるのなら、わたし達も変わらなければならない。
心を占めていた恐怖と不安はあらかた一掃され、穏やかな光を伴って微笑みが戻ってきた。
ただ1つ気懸かりなのは、わたしの想う者が同じ世界にいてくれるだろうか、ということだった。
空と海、両者は金輪際、交わり合うことはない。わたしには、それがわかっていたから。
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