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人は生まれた時から人と繋がりたがっている Menschen sind von Geburt an soziale Wesen

赤ちゃんを見ると人は、自然に笑顔になる。
つい、顔をまじまじと見たくなる。
赤ちゃんの泣き声も、人を動かす力があり、通りすがりの見ず知らずの赤ちゃんでも、何かしてあげたくなる衝動にかられてしまう。
赤ちゃんのその容姿・声自体が、人を惹きつける力を持っている。
すでに社会性を備えている。
赤ちゃんが生きていくために必要な能力なのだ。

それは、まだ立つことも、一人で食べることもできないからだけではない。
赤ちゃんは、たった一人だけでもいいから、愛情を持って接してくれる大人との関係(繋がり)がないと生存すら危うくなってしまう。

神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世(13世紀)は言語の力に興味を持ち、ある実験を行った。
生まれたばかりの赤ちゃんを母親から離し、乳母に面倒を見させた。
乳母は、赤ちゃんのおむつを替えたり、洗ったり、お乳を飲ませるのみで、話しかけたり、愛情を持って接したりすることを固く禁止された。
そして、この残酷な実験の対象となった赤ちゃんは皆、生き延びることができなかった。

このような酷い実験は、違う時代にも行われ、結果は同じ。
実験ではないが、戦争孤児が集まる孤児院や病院でも、大人から十分な愛情を持って接してもらうことがないがために、亡くなってしまう、または精神に障害を持ってしまう子供が後をたたなかった。

十分な食事を与えられて、清潔にされていても健康に育たない。

赤ちゃんは、ある特定な大人と繋がり、愛ある声で話しかけられ、優しい手で肌を撫でられ、温かい胸に抱かれ、無償の愛で育ててくれる人がいてこそ、健やかに成長していける。
そして、この幼少期の経験がこれから先の人間形成に大きく関わっていく。
愛を十分与えられて育った子供は、心身ともに逞しく育っていける。

もちろん、“愛を十分“というのは、一緒に過ごす時間の長さではない。
どうしても仕事でなかなか一緒に居ることができなくても、一緒にいられる時は、その子との時間を大切にする。
溢れんばかりの愛情で包んであげる。
赤ちゃんは感覚で生きていて、繋がっている人の想いはしっかり伝わる。

そして、赤ちゃんはすでにコミュニケーション能力も持っている。
優しく目を見て話しかけていたら、返してくれるようになる。
着替える時や、おむつ替えの時も“足(を出して)“と手の平を上にして差し出すことを繰り返していくと、それに応えてくれるようになる。
模倣能力も備わっているから、舌を出すと、真似して舌を出したりと“学ぶ“力も備わっている。
周りの大人の動きも見ていて、教えなくても、周りの大人のように座ったり、そして、二本足で立とうとする。
狼に育てられた人間の女の子が4つ足でしか歩けなかったように、その子供が育つ環境がその子の成長を決定づけていく。

“三つ子の魂百まで“。

自我が目覚めるまでの幼少期は、その子の人間形成の土台を作る大事な時期。
この時期に得た経験が無意識のところ、魂の奥深く刻まれていく。

この幼少期の成長は目覚ましく、小さな足で立ち、ことばを使い始め、考えるということもできるようになる。
そしてそれに伴い“私“の輪郭がはっきりとしてくる。
書く絵も変わっていく。
とてもとても、毎日が新たな発見!の時期。

長年、子供とそしてその親と関わってきたから、理想と現実が伴わないことがあることもわかる。

それでも、どの子供もできる限り、愛ある平和で穏やかな環境ですくすく育っていってくれたらいいなと心から願う。

この時期に培われた力が、今後の人生を生き抜く支えとなっていくのだから。






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