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#雑談9 キャラクターを愛でたい、それは確かにそうだけど

 自分の個人サイトにガンダムの二次創作小説の連載を始めた2005年頃は、まだピクシブのような創作系のSNSというものはなく、ウェブリングとか、ガンダム系ポータルサイトとか、リンク集とか、何か面白い小説はないかというときはそういうところに探しに行っていた。といってもあまり他の人の書いたものを読むことはなく、コミケなど同人活動にも興味がなかったので、自分は書いているけれど、二次創作ってどういう世界なのか、実はよくわかっていなかった気がする。

 3年ほど続けた連載が頓挫し、書くのをやめてしまってから10年ほどたって、再び書きたい、という思いに駆られたとき、どんなものが書かれているのか、検索して知ったのがピクシブだった。そこには、女性が書いた、女性向けのガンダムの二次創作がいっぱいあって、私はアムロが好きだったから、アムロの出てくるマンガだったり小説だったりを見てみたけれど、そこに一つのパターンがあることに気がついた。

 アムロといえば「逆襲のシャア」で宿敵シャアと最後の戦いを繰り広げ、そしていろいろあって、シャアとともに行方知れずになって物語は終わるのだが、アムロを扱った二次創作というと、その多くが「実は二人は生きていました」からはじまり、アムロとシャアとが人知れず幸せな日常を送っていて・・・みたいなお話が、一つの定番のようになっているのだった。

 別にそういうのがあっても、いいと思う。公式作品の「その後」を夢想しているわけだから。だけど自分はそういうワンパターンは面白くないと思ったし、アムロとシャアの幸せな日常のお話を読みたいわけでもなかった。まず、あれだけの戦いを繰り広げた二人が相思相愛の関係になるには、心理的障壁が大きすぎるだろう。私の関心は、幸せな日常よりも、常に心理的葛藤をどう人が乗り越えようとするのか(あるいは乗り越えようとはせずにいるのか)というところにある。

 それよりも、アムロとシャアとが戦って、二人が死ぬ、というのではない話を読みたかったし、それがないなら自分で書こう、となったのが、再び書き始めたきっかけだったと思う。

 二次創作というのは、自分の好きになったキャラクターを愛でる、というところがあって、自分のしていることもまさにそうだろうと思うのだけれど、なぜ、多くの女性が、その方法としてBLという表現へ走っていくのか、私にはよくわからない。そういうもの、として定番化したものを、ぶっ壊したいというところが、あったりする。少なくとも、アムロとシャアがカップルになるという定番を。

 もう一つよくわからないのは、noteでBLの同人活動について書いている人はたくさんいるけれど、一様に、みな決してその作品やキャラクターの名前を明かさないことだ。それを明かすのは、恥ずかしいことなんだろうか。自分を「腐女子」などと貶めたりして。
 きっと、いろいろ面倒くさいことがあるからなんだろうな、と思ったりする。

 私はどちらかというと、BLを好む自称「腐女子」を、同性愛の方々はどう思っているのだろうかと気になったりする。そういう趣味のある自分を「腐ってる」とみなすことは、同性愛の人たちに対して、どう捉えられるんだろう?とか。
 
 キャラクターを愛でたい、という思いの周辺には、いろいろとめんどくさくて生々しい人の欲望が渦巻いている気がする。自分もまた、認められたいという欲望の駆られることもある。だけど、本当は、書くことが楽しい。それは、愛すべきキャラクターと対話することだから。

 そのシンプルな原点を、忘れずにいたい。

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