6つの「こ」食

私が食育に興味をもってまず最初にそれそれ!と共感したのが6つの「こ食」問題です。

自分の幼少期の食卓でモヤモヤしていたものに対して、当てはまったというか、腹を満たすだけじゃなく環境も含めて食って大事なんだと感じたきっかけになっています。

いま食生活で問題になっている6つの「こ食」

①ひとりで食べる「孤食」

②家族それぞれが好きなものを「個食」

③決まったものしか食べない「固食」

④粉ものの主食を好んで食べる「粉食」

⑤食べる量が少ない「少食」

⑥味の濃いものばかりを食べる「濃食」

今は共働きは当たり前で、朝早い出勤・遅い帰宅だったり、子ども習い事など、親も子どもも忙しい家庭が増えています。なのでどうしても利便性第一の食事になりがちです。

調理済みの総菜やレトルトや冷凍食品など手軽でおいしい加工食品がどんどん出てきていますが、すべての食が「安全」「安心」で健康的だとは言い切れません。手軽・おいしい・安いという点だけで考えればいいというものではありません。体は食べたもので出来上がるのですから。

三つ子の魂百まで
子供のころの食生活は、いくら大人になって改善が必要だと分かっていても実際に改善できる人は6%ほどにしかならないそうです。
なので0~3歳で精神を安定させ、人間としての基盤が形成される3~8歳までによい食習慣を身につけていくことが大切なんだそう。

上記のような「こ食」の食習慣が定着してしまうと、身勝手でわがままな子供が育ってしまう。協調性がなかったりキレやすかったりしてしまう。

私の周りにいた暴れん坊や人を傷つけていた人は、どこかいつも目が悲しそうだったのが恐れながらも引っかかっていましたが、親が遊びで深夜まで帰ってこなかったり、夕飯はいつも机に1000円が置かれていたと聞きました。

食事は1日3食とすれば、1年で1095回。

家族と食卓を囲んで食べていると、苦手なものをちょっとだけ挑戦してみよう、この食べ物ってなんだろう、どんな順番で食べよう…など食事のたびに考えたり、楽しんだり、向き合ったりする時間になるはず。ですがその家族と食卓を囲む回数が、年々激減しています。

便利さを追求するあまり、「食の大切さ」が忘れられてしまうと、食への関心の低下につながり、結果、生活習慣病や心の歪みなどの問題へつながっていくのです。

別に何品も用意をする必要も、手を込んだ料理を準備しなければならない、とは私も思っていません。


かくいう私も0歳時のときから両親が共働きで、毎日親戚や近所の家に預けられて育ちました。
ありがたくも預けられていた場所がどこも食を大事にしていて、ドラマに出てきそうな品目が多かったり手が込んだ料理も並んでいたのを覚えています。美味しかったし、そこで旬の食材を学んだことも沢山あったし。

それでもお母さんに甘えたい、お母さんと話したい、という気持ちをずっと押し殺して過ごしていました。(のちに強烈な反抗期で巻き返すのですが…苦笑)


母の作る料理は預けられていたところで出る料理とはかけ離れていました。今自分も社会人になって実感しますが、激務だった母は食事を準備する体力の余裕もなかったはず。ハムと目玉焼きとみそ汁が夕飯だったことも少なくないのですが、それでも嬉しいんですよね。美味しいんです。

食べたり、飲んだりしているときって、心が解放されるのでしょうか。洗濯を畳んでいるとき、お風呂に入っているとき、テレビをぼーっと見ているとき…母に話しかけるタイミングは他にもあったはずなのに、食事中だからこそ話せたことって沢山ありました。

色んな食卓で育ててもらったからこそ、でもちょっぴり寂しい思いもあったからこそ、私は食にかなり強い関心をもっているのだと思っています。食べることはもちろん好きですが、それだけでなくて誰と食べるか、どう食べるかといった環境や空間にもかなり興味があります。

私の幼少期以上に、共働きが当たり前になっているからこそ、誰も嫌な思いをしてほしくない。子供のために精神や体力を家でも削ってまでも食事を用意する必要なんてないし、子供はそういう親の表情や気持ちをかなり察知するのでそうするほど心から甘えることもできなくなってしまう。

改めて言いますが、別に何品も用意をする必要も、手を込んだ料理を準備しなければならない、とは私も思っていません。

今の私は、みそ汁とぬか漬けさえあれば最高だと思っています。

もっと肩の力抜けるもんだよ~、なのに外食やレトルトよりもおいしい食事を準備できるんだよ~っていうのを今後発信していきたいです。そのへんはもう少し勉強や私自身の経験が必要なのでもうしばしお待ちを。

ではでは今回はこのへんで!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?