正しい子育てとは

甘やかしすぎないことだと思う。コントロールしようとしすぎないことでもあるだろう。完全にコントロールされ過保護に育った子供は親がなくなってもコントロールしてくれる人が現れない限り頑張れなくなる。自発的な頑張りの機会を奪うと言ってもいいかもしれない。私は違うが、いかにお金をかけて幼稚園から私立だったとしてもspoilすることと同義になってしまうのではないか、私はそう考える。例えば私の母は私たちが人生でつまづかないように様々に配慮をしてくれたが結局逆の結果に至ってしまった。私は2留して退学、再受験、弟は高校を退学した。自発的に頑張る機会を与えられなかった小鳥は空に飛び立っていける自信をもてず、不安定になる。長期的に見て、子供が転びそうな時に小石を拾ってあげるのは賢くない。それは残念ながら親の自己満足とみなされる。厳しい言い方をすると転んで痛そうにする我が子を見たくないという親心のエゴだ。こう批判をしてはいるが私は必ずしも親のアンチではない。いかに心を砕いてきてくれたか、お金を費やしてくれたか、よく理解しているつもりである。私は単にここに書いて見聞を広めることでこれ以上同じ悲劇がもたらされないことをねがうばかりである。母は完璧主義で子供がいて子育てが大変だろうがほぼひとたびも部屋を綺麗にすることを欠かさなかった。彼女は秩序を好んだ。ワンオペで育児を完遂するほどには普段は有能だが、秩序が乱されると一転して子供のように反発し、怒りを惜しみなくぶつけてくる。これは彼女の整然とした部屋が彼女に心の平安、安寧をもたらしてくれる唯一のものだからなのだろう。彼女同様、私もメンタルは強くなく、彼女が酒を入れて依存する代わりに私は服飾費にお金をかけることをやめられず危うくクレジットカード地獄に陥るところだった。

私にとって人生は数多くの祖先によってアップデートされてきたvol3桁くらいの攻略ゲームに感じられて仕方ない。先代である母の過ちを私が克服できなければ彼女のような結果に至るのではないか。だから私は母が何であるかを理解したいと考え、心理学を専攻したいと考えたに違いない。母を知ることは同じように似ている自分を理解することでもあるからだ。
食い止めなければならない。この連鎖を。自身の父に服従をしつけられた父が支配的な母を選ぶような悲劇を二度と繰り返さぬよう、私が母のように何かに依存し暴れ、周りに迷惑をかけることがないよう、長所だった想像が抜け出せない妄想に変わり、取り憑かれないよう、十分気をつけなければならない。子供が私のように親を恨まなければならない状況にならないよう……そうやって考えているうちに私の頭はパンクしてしまったのだと思う。未来に予想されることへの恐れが結婚をしたくないという気持ちになり、子供を欲しくないという気持ちに導いた。残念ながら私も完璧主義のようである。血は争えない。もう、どこで誤ったかなんて分かるはずがないのだ、人生における失敗とは幾多の小さな要因の積み重ねであり、完璧にできるものではない。だからこそ不安になった私は根本的な青田刈りをら取った。結婚をしなければ結婚生活への不安もないし子供を産まなければ子育ての不安もない。

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