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相性ってなんだろうか


前回の続きです。


8時ごろ名古屋に着いた。朝からどこか開いてるわけでもないし、今日泊まる予定の栄駅のホテルまで歩いていくことにした。今思えばモーニングに行くべきだったと後悔している。

名古屋駅から栄駅までの30分。知らない町を一人で歩く。知らない町に来ると必ずやってしまうのが、その町と地元である横浜を比べるというもの。歩く人の雰囲気、街並み、そういう肌で感じたもので比較して、「やっぱり横浜がいいな」という結論に至る。どの町見ても「やっぱり横浜のほうが」と思うので意味がない。名古屋に住んでいる人が横浜に来たら、「やっぱり名古屋のほうが」ってなるんだろう。
旅行って、ガイドブックなり見て、「ここ行ってみたい!」って憧れをもってその町に行くのに、結局「地元が一番」って思うなら旅行なんていらないじゃん。ってか、わざわざ遠い町までいかないと魅力に気づけない地元ってはたしてホントに「やっぱり一番」なのだろうか。一番にしては弱くない?そこにいる時から一番と思わせてほしい。

とはいえ、これまで女の子と2人でいる時に、”僕は35億人の男性のなかで一番である”ということを感じさせられた試しがない。目の前のお洒落な飯と他愛無い会話でごまかして、時間が過ぎるのを待って翌日に別れて、その時間はその子にとって一番の時間の使い方だったのだろうか。

逆に僕はその子のことを一番の女性と思えているかといえばそういうわけでもなくて、「彼女よりも佐藤栞里のほうが多分絶対性格いいよな」とか考えてる。女性としての能力を五角形にしたら彼女は歪な形をしていて、一番いい能力値で争っても世界の中で彼女の能力値より高いものを持っている女性は必ずいる。僕の五角形もそりゃ小さくて変な形をしている。その五角形の凹凸が上手いことかみ合って、この世界の中で二人だけの歯車を回している。でもしばらく回転しているうちに凸凹の溝が削れていって、気づいたらもう噛み合わなくなってるんだ。


横浜生まれ横浜育ち。19年以上横浜にいて自分が横浜と噛み合わないと思ったことがない。いくら自分の形が変わっても一緒に歯車を回している。

時間軸が歪むが、五日ほど前に横浜駅に行った。最近横浜駅は長い工事を終えて綺麗になった。中高六年以上毎日使ってきた駅が一新されて、愛着すら覚えていた薄汚れた連絡通路が綺麗になった。
でも、姿形の変わった横浜に対して、何も違和感がない。僕の姿形も横浜とともに変わっているはずなのに。

互いに五角形の形が変わろうと、相手の一番になれなくても、相手の歯車にさえ合わせればいいんだ。これを相性っていうんだろう。「花屋の店先に並んだ~♪」って聞こえてきそうだ。SMAP最高かよ。


でも相性ってワードずるいと思う。「一番にならなくていい」んだとしたら、今まで周りと比べられて受験勉強してきたこととかが全部おじゃんになる。相性だからって一番になる努力をやめていいわけがない。
だから僕は、「相手に”一番”合う男になるため」に努力するんだ。横浜の前、女の子の前、10年前の自分の前で恥ずかしくない男になるんだ。


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