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憐れまれるべき者たち

 女が出て行った部屋は、女がやって来た時と変わらなかった。女は何一つ持ち物と呼べるものを持っていなかった。女は着のみ着のまま現れて、着のみ着のまま去って行った。足されたものがゼロであり、引かれたものもまたゼロならば、過不足が起きるはずもない。過不足無し。部屋はその前とその後になんら変化をこうむらなかった。
 確かに、おれが女に買い与えてやったものはあり、女はそれを持って行かなかったから、それは部屋に残っていたが、はたしてそれは女の物であったことがあるだろうか。それは結局、おれが女に与えた物であり、女の物になったことなど、一瞬たりともなかったのではあるまいか。
 洗面台には、おれが女に買ってやった歯ブラシがあった。女はそれで毎日歯を磨いた。しかし、それはおれが買い与えた歯ブラシでしかなく、女の歯ブラシであったことはなかった。
 食卓には、おれが女に買ってやったマグカップがあった。女はそれで毎朝コーヒーを飲んだ。しかし、それはおれが買い与えたマグカップでしかなく、女のマグカップであったことはなかった。
 クローゼットには、おれが女に買ってやった服があった。女は毎日それを着た。しかし、それはおれが買い与えた服でしかなく、女の服であったことはなかった。
 女がそれらに対して支払ったものは、感謝の言葉以外にはなかった。おれがそれ以上を求めなかったのだ。いや、それすら求めなかった。求めていないふりをした。女はそんなおれの内心などお見通しだったに違いない。歯ブラシやマグカップや服はその証左なのだ。
 おれが求めていたのは、女を、女自身を、おれの物にすることだった。全てを与えるふりをして、女自体を、おれは奪おうとしていた。そして、歯ブラシやマグカップや服が女の物にならなかったように、女もおれの物にはならなかった。ただそれだけのことなのだ。
 女がこんなことを言ったことがある。
「あんたは可哀想な人ね」
 おれはそれを一笑に付した。憐れまれるべきはお前だ、と笑った。なにしろ、女は何一つ持っておらず、おれは惜しみなく女に与えていたのだ。そんなおれを見る女の目は、冷たい光を放っていた。
 女の出て行った部屋には、女がいないという事実がしつこく残った。それは窓を全開にして空気の入れ換えをしてみても消えないものだった。まるで生まれつきの痣のようだった。何かでそれを覆い隠してみても、そのことがその下にあるそれの存在を喚起するような、何か。おれは苦しみ悶えただろうか?おれにはわからない。生きている者が、自分が生きているということがどういうことかわからないようなものなのだろう。
 幾日かが過ぎたある日、女が唐突に姿を現した。相変わらず女は何物も持っていなかった。
「どうしたね?」とおれは平静を装って尋ねた。おそらく女もそれに気付いただろう。
「あんたに憐れを催したのよ」女は言った。
「お前に憐れまれるくらいなら」とおれは鼻息荒く言った。「死んだ方がましだ」
 女は軽く息を漏らして笑うと「やっぱりあんたは可哀想な人」とだけ言い、そして去って行った。もう二度と、戻って来ることはないだろう。
 歯ブラシもマグカップも服も、まだそのまま部屋にある。結局のところ、おれは女に憐れまれるべき存在だったに違いない。

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