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探さないでください。

 仕事を終え、帰宅すると、食卓の上に紙が一枚置いてあった。手に取って見ると、何か書いてある。
「探さないでください」
 それを元に戻し、一度灯りを消し、もう一度つけてみる。依然としてそれはそこにある。どうやら幻覚ではないようだ。
「弱ったな」と口から漏れた。実際弱ったのだから、自然なことだ。この部屋に住んでいるのは自分一人で、出ていくような同居人はあいにくと言うか、いない。
 念のため、無くなったものがないかを確認してみる。別に、何か物が、たとえば目覚し時計やスリッパが書き置きを残して出て行った、なんてメルヘンチックなことを思ったわけではない。ただ、なんとなくそうしようと思ったのだ。場合によっては泥棒の仕業かもしれない。
「盗んで無くなったものがあるので、探さないでください」
 まさか、そんな親切な泥棒がいるはずもないか。書き置きなんて残したら、むしろバレバレだろう。あるいは、その書き置きの通り探さない人間もいるのだろうか?探さなくとも、無くなったものにはいずれ気づくのではあるまいか。
 部屋には物色された様子もなく、今朝、家を出た時にあった物は全て、位置も変わらず、そこにあった。ひどく雑然としているが、それは誰あろう自分自身の仕業だ。少し整理整頓をした方がいい。
 雑然とした部屋を当てもなく探すと、昔の恋人がくれた財布が出てきた。ボロボロで、使えなくなったものの捨てられずに取ってあったのだ。中には一緒に行った映画の半券が入っていた。確か、見終わったあとの感想でひと悶着あったのだ。他愛もないケンカで、すぐに仲直りしたのだけれど。少し感傷にひたる。これは確かに探さない方が良かったのかもしれないが、これではないだろう。
 その後も、友人から借りたままのCDや、中学時代に卓球部の市の大会で三位になった時の表彰状、昔の恋人の忘れて行ったメイク落としなどが出てきたが、どれも探してはいけないものではないように思える。メイク落としに関してはむしろ見つかってよかった。いらぬ疑いを生みかねない。いや、まあ、それを見て何か疑いを抱く人間がいるのか、と言えば、そんな人間はいないのだけれど。
 とにかく、部屋から無くなったものは無かった。すべては部屋を出る時と変わっていない。あったものはある。
 むしろ、部屋にある物は増えたのだ。この紙切れが一枚。 
「探さないでください」とそこには書いてある。
 探すな、と言われても何を探したらいいのか、逆に何を探してはいけないのか、見当もつかない。そんなものを探すことはまあ不可能だ。探さないでもらいたいものがわからなければ、探しようがない。それならそれでもいいのかもしれない。それが何かわからないが、探さなければいいのだ。それなら今までと変わらない。これまでも別に何も探してはいなかったのだ。それまでの日常、何かを探すことのない日々に戻ればいいのだ。
 だがしかし、何か気にかかる。何を探してはいけないのか。それは喉に刺さった小骨のように、頑固にしつこくそこに留まり続ける。
 探すな、と言われたものを、まだ探し続けている。

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