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過去の感覚、あるいはデジャメヴュについて Ⅲ  Yu Amin

ⅲ. 髑髏

 デジャメヴュの感覚、それは言語とイメージに浸りきったわれわれの日々の営みが、その幼年期の長く伸展された延長でしかないということをよく証し立てている。失われた幼年期のリアルを回復=創出するための、言葉と物のマリアージュ。詩的想像力はしばしば、こうした営みそのものについて反省的に語ることがある。古典落語の演目に「開帳の雪隠」というのがある。ある寺院が秘蔵の仏像を他の寺院に貸し出して一般公開する「出開帳」をめぐる笑話である。その本筋(YouTubeに残された六代目三遊亭圓生のライヴ音声をぜひとも聴かれたい)に入る前の枕では、開帳される宝物には胡散臭いものがあったりすると紹介される。

[…]様々な開帳が行われておりまして、元々鰯の頭も信心からなんてお国柄でございますから、いろいろな宝物が開帳されていたのだそうです。
——「ええ、ちょっと、皆さん何をご覧になっているんで?」
——「ご開帳だよ」
——「へぇ、ご開帳!それで、何が見られるんです?」
——「なんでも、源頼朝公のしゃれこうべだそうですよ」
——「頼朝公ですか。ですが、なんだか頼朝公にしては、小さくありませんか?」
——「子供の頃のしゃれこうべだそうですよ」
 なんて、罰当たりなことをする者もいたのだそうですが。
(「開帳」『古典落語百華選』講談社、1989年所収)

おわかりいただけただろうか。これが初出かはわからないが、「頼朝公幼少のみぎりの髑髏」としてよく流布されるようになる小咄である(たとえば、坂口安吾の連作歴史短編『安吾史譚』(1952年)中の一編「源頼朝」のなかでも「頼朝のサレコウべ」として紹介されていたりする。『坂口安吾全集17』筑摩書房、1991年)。1199年に満51歳で没した頼朝の頭蓋骨が、少年のそれのように小さいわけがない。香具師の口を介して噺家は幻の過去と——幼年期に死んではいないはずの頼朝の髑髏という幻の過去と戯れているのだ。とはいえ、参詣客と聴衆を愚弄するようにも聞こえるこのエスプリの効いた返しをもし真に受けるなら、やはりこの胡散臭い骨董品に奇妙なリアリティを感じることもできなくはない。目の前に出され堂々とそう言われてみると、頼朝公幼少のみぎりの髑髏なんてものがある気がする。いや、むしろそんなフレーズを当意即妙にも放たれてしまったことで、幻の過去の感覚がいまでっちあげられたのだ。頼朝公幼少のみぎりの髑髏の逸話は、言語が幻の過去の感覚に存在論的な身分を与えうることを如実に物語っている。その意味で、デジャメヴュの感覚もまたフィクションがわれわれの心的現実に効果を及ぼす、という文学がおのれに認める権能の一例にすぎない。しかし、この笑い話という言語的虚構の中で、文字どおりにはありえない「過去」が現実の事物として、しかもある時点で時間を止められてしまった「幼年期」を表すオブジェとして召喚されているという点に立ち止まるならば、われわれはもうすでに、失われた幼年期を、言葉と種々の徴候、そして「夢」を介して探求するもう一つの営みに片足を突っ込んでいることにはならないだろうか。それは確かに触ることも実在を客観的に証明することもできないが、目の前に差し出された頼朝公幼少のみぎりの髑髏がそれなりにリアルなように、われわれの心的現実が無視できない——というよりはリアルな心的現実ほとんどそのものである、あの無意識を探る営みに。19世紀の科学的客観主義の風潮のなかにいたフロイトは、幻の過去の「実在」を証明するのに、頼朝公ではなくアレクサンダー大王を、それももっとシンプルな形で引き合いに出すのだが。大王がいたことを現代人は誰も直接証明できないが、大量の遺跡や遺物の存在が彼の存在を間接的に指し示していると言えるように、われわれの病や失言や夢や反復する人生の失敗そのものが、それぞれに固有の無意識の存在を示唆している、と。頼朝公のサレコウベの逸話は精神分析の本質的な作業をそれと知らず形象化している。つまり、しかるべき発掘作業の後に「発見」されるべき、そんな幻の過去があるはずだということである(とはいえ、その発見も、ウィーンの医者のこだわりとは裏腹に、どこまでも「発明」と区別がつかないかもしれないが)。その発見=発明によって期待されているのは、ひとがなんだかわからないままに抱き、往々にしてそれに苛まれている違和感に解釈と、そして癒しが与えられることである。幻の過去はときにはっきりと感覚されることを要求するものとして出現し、その場合にはそこに言葉(無意識の発見とその解釈)をあてがうのは容易ではない。言葉があてがわれる物(トラウマ的な体験)は決して好んで言葉にしたくなるようなものではないし、その背後には人間に課された仮借ない死の現実が控えてもいるのだから。まさに、髑髏のように。
 頼朝公幼少のみぎりの髑髏の話にはもう一つ注目すべき要素がある。それは、この怪しげな物品をめぐるやりとりの舞台が寺院であるということだ。そもそも死や葬送と直結する髑髏そのものが、すでに十分に宗教的な符牒でもある。それゆえ、この逸話に触発された作家の中に宗教的な想像力でこれを味付けたものがいても不思議ではない。この手の奇譚めいた日本古典が好み、とくれば誰もがあの人かとピンとくるようなある作家が、13世紀の説話集『古事談』のエピソードに基づいて、やはり髑髏をモチーフとした短編を書いている。老いて隠居した皇帝(「花山院」)が頭痛に悩まされるが、「陰陽師」と呼ばれる呪術師の安倍晴明がその原因を解き明かす。いわく皇帝の前世であった少年の頭蓋骨が痛めつけられているからだという。その頭蓋骨を回収しことなきを得たと思いきや、また頭痛がぶり返す。今度は、皇帝の前々世であった後宮の女官の頭蓋骨が…、さらには前々々世であった修行僧の頭蓋骨が…と繰り返され、その度ごとに頭蓋骨を安置する。そして前々々々世はなんと「40歳の花山院」自身であることが告げられ、その前世は今の皇帝の直接の前世であるあの少年へと立ち戻っていく…。わたしは知りもしないはずなのになぜかわたしに関わってくる幻の過去の感覚(頭痛)は、前世の記憶という仏教的な説明を与えられることで、文字どおり過去に存在していた(そしてなぜか今も存在し続けてしまっている)現実に根拠を置かれている。さらにここで作家は、通常は不可逆的なはずの輪廻の進行する時間をいわばUターンさせてしまう(今のわたしの前世は少し前のわたしで、結局はわたし)というひねり技をなるほど巧みに使っている。老いた花山院の頭蓋と40歳の花山院の頭蓋とのねじれた関係——もちろん頼朝公の髑髏と頼朝公幼少のみぎりの髑髏のねじれた関係をここに透かして見ることができよう——さえも、あたかもこの輪廻の円環——運動そのものが円環的という以上に、この運動が文字どおり同一人物に還帰するという点で異例な輪廻——の中で入れ子的に共存しているものとして奇妙にもすんなりと説明されてしまっている。それぞれの頭蓋骨が次第に成長して次の頭蓋骨に移行していっては元(?)の少年のそれに戻っていくのを繰り返すというのだから(澁澤龍彦「三つの髑髏」、『唐草物語』河出文庫、1996年所収)。この目も眩むばかりの記憶の放射線状の入れ子、それが「再出現」でしかなかったことが後からわかるこの入れ子からの過去の「出現」。映画的な想像力なら「めまい」とでも銘打ちかねない、この螺旋でも描きそうな再出現の運動に、誰が誰なのか識別もできなくなるような幻惑=眩惑を(とはいえ妙に筋が通った論理的なしかたで)認めずにはおれない。

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