真っ白【オリジナルSS】

真っ白

「お世話に、なりました。」

「・・・またいつでも戻ってこい。」

今日で夢が終わる。5年所属した事務所で挨拶を済ませると、もう涙は出なかった。ずっと悩んで、でも諦めきれなくて縋りついていた女優になる夢は、今日で終わったのだ。ビルを出ると天気はずいぶん気持ちの良い晴れ模様、風はない。これからのことを考えなければならないから、感傷に浸る暇もない。今の私は無職、職歴もない。人混みのざわめきが私の焦燥感を余計に掻き立てた。

親の影響で映画が好きな子どもだった。好きなものはそのまま私の夢に変わり、高校、大学で演劇に励み、卒業後は事務所やドラマ、映画のオーディションを数え切れないほど受け、親に頼み込んでワークショップにも通った。私は絶対女優になる、映画に出る。それしか頭になくて、その道しか見てこなかった。しかし現実は思う通りになんていかない。才能がある人、華のある人、私より努力してる人なんてたくさんいるのだ。そういう世界だった。

なんとか今の事務所に入ってすぐ、インターネット配信されるドラマの助役が決まった。カメラの前で演技する始めての機会、主役の男性に横恋慕する大人しい女の子の役で、キスシーンもあった。それにはすごく苦労した。何度も何度も「君には経験が足りない」、そう言われた。過去に恋人がいたこともあったけど、さらりとしたお付き合いだったからか、私の人生経験の足りなさが顕著に出ていたらしい。私が観てきたたくさんの映画でそれを補えなかったのは、明らかに私の実力不足だった。ドラマの反響も特になく、それが最初で最後。あとはひたすらオーディションを受けるか、バイトの日々を送っていた。

地下鉄に向かう途中で電話が鳴った。事務所の社員さんからだ。

『もしもし?茉祐子?』

「もしもし、お疲れ様。」

『ごめんな、顔出せなくて、ほんと力不足で・・・。』

「そんなことないよ、すごい頑張ってもらったし。力不足は、私のほう。」

『またいつでも戻ってきていいから。』

「それ社長にも言われた。」

在籍人数も社員の数も少ない、家族みたいな事務所だった。辞めたいという私を何度も引き止め、こんなオーディションがあるといくつも持ってきてくれた。

『しつこいようだけど、別に事務所所属のままでもいいんだぞ?』

「諦めつかなくなるから。」

仕事が入ってこない現状は変わらない。私から事務所の肩書が外れる、それくらいしか変化はないのだが、私にとっては大事な肩書だった。芸能界に関われている証明でもあるその肩書を取り除くことは、私がきっぱりと憧れと決別するための表明でもあるのだ。

『・・・もう芝居は嫌いか?』

「・・・そうなれたら楽だったよ。」

いっそ芝居を、映画を、夢を、嫌いになれたらこんなに苦しくなかっただろう。

「もう電車くるから。」

いつまでも後ろ髪を引かれていたら先に進めない。私は電話を切り、階段を駆け下りた。

夢を諦めることは自分の一部を失うことのように思う。それしか見ずに真っ直ぐやってきた。それでも叶わないことのほうが多いのが現実だ。私は私の夢の主人公にはなれなかった、それだけのこと。あんなに愛していたものを、私から手放す。これからは失った部分を取り戻すために生きる。夢を真っ白にリセットして、私はまた歩き出す。

End.



【後書き】
1年程前に、yamaの「真っ白」という曲からイメージして書いたものです。
キーワードは「白紙に戻す」
大好きな曲なのでぜひ聴いてみてください。


このショートショートは朗読、声劇、演劇などお好きに使って頂いて構いません。

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