Revive【オリジナルSS】

Revive


睡眠時間は30分も取れていない。壁の時計を見るといよいよ植物が生え始め、足の踏み場もないこの部屋には妙な一体感すら感じるほどだ。私はベッドの上から動かず、天井や壁から聞こえてくる言葉を遮るように両手で両耳を塞ぐのだが、ボリュームは変わらず話しかけてくるからどうしていいものだかわからない。

「お前はどうしようもないやつだな。」

部屋中が笑う。

「お前を監視してるんだよ。ゴミみたいなお前をな。」

笑いながら罵倒してくるのだ。まるで私が幼い頃の父親のように、クラスメイトのように。

どこかで私はおかしくなってしまったのだと思う。小さなミスさえ許されず、笑えば怒られ、怒られて泣けば怒られた。ついには口をまともに聞けなくなってしまい、学校では当たり前のようにいじめられた。毎日のように机と椅子が教室の隅にやられ、ロッカーには薄汚れた雑巾を入れられ、上靴は買っても買ってもなくなるからスリッパで過ごしていた。そんな日々が続くと、朝起きて支度をしているとなにも出ないのに吐き気が止まらなくて、トイレに篭って嗚咽を漏らし続けることもあった。そうして学校に行くことをやめた。正確には、学校には向かう風を装って、橋の下の河川敷で川を眺めながら日が傾くのをじっと待っていた。学校に行っていないことは、父親にはバレなかった。それだけ私には関心がなかったようだ。学校から案内が来てもそのままゴミ箱に入れてあったし、担任からの電話には出なかったから呼び出されることもなかった。

「見ない顔がいるなー。」

あるとき、橋の下でぼんやり座っていた私に話しかけてきた男がいた。声のするほうに振り向くと、まず目に飛び込んできたのは両腕に入った入れ墨で、危険人物だとすぐに察した。逃げようにも固まってしまって動けない。男はふらふらとした足取りで私のそばに歩み寄り、一人分感覚を開け、隣にしゃがみこんでタバコの煙をふーっと吐き出した。

「なに、サボり?」

私は声が出せずなにも答えられない。

「そんな見てないでなんか喋ってくんない?」

人ともなにとももう何年も喋ってない。声を出そうにも出し方がわからなくて、私は両手で喉を抑えた。

「口きけないのか。訳ありだな、お互い。」

男はそう言ってまたタバコの煙を浮かべる。サングラスの奥の目はどこを見ているかわからなくて、それは私を妙に安心させた。

それから男はひとり言のようにたまに口を開く。私はまた膝を抱えながら、それをひたすら聞いていた。頷いて反応することもあったけど、それを男が見ていたかはわからない。橋の上を過ぎる電車の音、散歩する犬の鳴き声、学校が終わったのか、次第に子どもたちの声も聞こえてきた。男はおもむろに立ち上がり、

「死ぬときはな、死にたいときじゃねえから。」

と一言残して去っていった。男と会ったのはそれ一回きりだった。

中学校もろくに行けず、私には学歴と呼べるものはなにもなくなってしまった。学校がなければ家から出る理由がない。私は一日中ベッドの上で過ごすようになった。父親が寝付いた隙に台所へ行き、食べ物を漁る。時間も日付の感覚もなくなってしまい、何年目かはわからないが、父親が死んだ。気配がしないのでリビングに行くと、床にうつ伏せになって倒れたまま動かなくなっていた。驚きも悲しみもなにもなかったが、「この死体はどうしたらいいんだろう」とぐるぐる思考を巡らせている間にまた時間が経った。それで恐ろしくなってしまって、私はまた自室のベッドの上に戻ってきた。部屋の中で声がするようになったのはそれからだ。

ピンポーン

家のインターホンが鳴る。もちろん出られるような状況ではないので無視をしてやり過ごす。少し間を置いて、繰り返しインターホンが鳴らされる。

「ほら、今にお前を捕まえに来たんだよ。」

けたたましく部屋中に笑い声とインターホンが鳴り響く。堪らず耳を塞いだが、小さく鍵の開けられる音がした。一階のリビングからは大人のざわめく声が聞こえてきた。私はなにかの罪で捕まってしまうのか。なにも、なにもしていないのに。ただ笑われるだけの人生で、やりたいことなんかなに一つなくて、ただ生きているだけ。死んでないだけ。それだけなのに。閉めっぱなしだった窓を開け、下を覗く。窓の外は道路に面している。サッシに足をかけた瞬間、何故か河川敷で会ったあの男のことを思い出した。もう一度会ってみたかった。喋ってみたかった。あの言葉の意味を、知りたかった。

「君!やめなさい!」

ドアが開くと同時に警察や大人たちが入り込んできて、私は結局飛び降りることのないまま「保護」された。厳しく責め立てられると思っていたが、なにも話せない私に大人たちは私に優しかった。後に私が幼い頃に家を出ていった母親とされる人が現れ、私はその人の元に行くことが決まり、ゴミだらけの喋る部屋から出ていくことになった。この部屋を出れば、新しい生活が始まれば、私は遠い昔のように話すことが出来るのだろうか。そうなった日には、河川敷のあの男と、話がしたい。


End.




【後書き】

精神的に調子が悪いときに書いたものです。

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