恐怖

人は知らないものにこそ恐怖する。

人類が一瞬で滅亡してしまった世界に、自分が取り残されたらどうしようと夜眠る前に考えて、怖くて怖くて眠れないことが子どもの頃によくあった。

その手のマンガは昔からあって、「サバイバル」や、「ドラゴンヘッド」は主人公が取り残されて懸命に生き抜くストーリーがリアルで恐怖を感じた。

「北斗の拳」は主人公がその世界を救っていくから少し違うけれど、作中の孤児達の悲惨さは僕の恐怖の対象となった。

小学校低学年の頃の夏休みの雨の日に、何気なく見ていたアニメが怖すぎて、トラウマになったことがある。

それが「はだしのゲン」だったということを後になって知るのだけれど、当時の大人達は僕に原爆で崩れた家の下で生きたまま焼かれるゲンの家族や、熱線で皮膚が溶けて腕から垂らしながら水を求めて苦しみさ迷う人々を見せて、どうしようと思っていたのだろうか。

戦争を繰り返してはいけないというのは理解できるけれど、今でもカラーで思い出せるぐらい脳裏に焼き付いて離れないPTSDレベルの体験が、僕の人格形成に影を落としてしまったことは否定できない。

それでも戦争や原爆、貧困や病気、人間の歴史を知っていくことで、「はだしのゲン」についても認識を改め、トラウマを超えることができた。

先日家族で散歩をしている時に、近所を流れる目久尻川の由来が書かれている看板を発見した。

その看板には、「昔この川には河童が住んでおり、河童が農作物を盗むので懲らしめるために、捕まえて目を穿(ほじく)ったという言い伝えから、目穿くり川→目久尻川となった」とあり、その近くには水辺で遊ぶ河童達の銅像が建っている。

これを子ども達に説明すると

「なんで、河童の目を穿るの?可愛そうじゃない?」

と至極全うな問いが子ども達から返ってきたし、僕もそう思う。

盗人の目を穿る世界観は単純に怖いし、目久尻川に架けられた多くの橋には至るところに可愛い河童の置物が設置されているのが余計に怖い。 

あの河童達は「可愛い」「可愛そう」のどちらで見るのが正解なのか?

はたまた僕の想像の及ばない見方があるのだろうか? 

いつかこのモヤモヤも解消したいのだが、真相を解明することでそれも超えていけると信じているし、恐怖は人間のイメージの中にこそ存在するのだろう。

最後に、妻に聞いた話だが保育園からのいつもの帰り道にカラスが死んでいたそうだ。

「ギャーッ!」 

と妻は思わず声を出して小走りで逃げたらしいのだが、後ろから冷静に3歳の息子が聞いてくる。

「ねぇ、どこが怖いの?」

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