見出し画像

未来のためにできること(2)

昔のアメリカ映画に年齢を重ねるごとに肉体的に、若くなる男の話があったと思います。 そんなことを考えたのはこの映画の作者が初めてではなく、芥川龍之介は「河童」の中で、同様のキャラクター(河童の)を登場させています。 
その延長のようなことですが、人は馬齢を重ねた後で、その人生経験を保持したまま20代に戻れたら、ずっと良い人生をやり直せるだろう、などと阿呆なことを考えるものです。 勝海舟のような偉人ですら、若い時は目立ちたがってダメだった。 今の俺だったら、もっとうまくやれただろうに、などと昔の仕事を回想しています。 その点だけ取れば、我々凡人と似たようなものです。 
77歳の私が残りの人生をどう生きるか、という事をズーと考えています。 幸い、私は多少の持病はあるものの、元気で認知症にもなっていません。 人生100年時代を文字通り100歳まで生きられるとしたら残り23年もある。 ひと仕事するには十分な時間だ。 今までの人生経験を保持したまま20年位は、更に仕事が出来るという条件が成立するではないか、と考える訳です。 問題は社会が私に仕事をさせてくれないことですね。 私は75歳まで会社勤めをした後で、前歴を生かせそうな仕事を求めて就活を試みましたが、年齢を聞いた途端、どこも鼻から相手にしてくれませんでした。 「当たり前でしょう」という声が聞こえそうです。 しかし、大概の人が100歳まで元気で、耄碌もしない、というのが普通になる社会は、すぐそこまで来ているのではないでしょうか。 働き手不足と言いながら、働く意思を持ち、まだ使える人材を実際上、労働市場から締め出すのは、企業、国、元気な老人の誰の為にもならない、と思うのですが。 勿論、元気だけど、もう働きたくない、という人も沢山居るでしょう。 そういう人に、働け、と言っている訳ではありません。 働くオプションが実際に使える社会を望んでいるだけです。 
結果、現況下では、私には趣味に生きるしかオプションがないのです。 カービング作品、和歌、詩、エッセー等をノートに発表することです。 多くの方々が環境保全をテーマとした下記、私のブログを読んで下さり、温暖化問題の本質をもっと深く、切実に考えてもらえれば幸いです。 私に出来ることはそんな事です。

https://note.com/muchaku_saoh/n/n3a9d84c4ec7c


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?