「ジェネレーター」という本を読みながら、気になったフレーズと、そこから湧いてくる声を書き記していこう。
という帯の言葉がまず、ぐっとくる。
「ジェネレート」とは「生成する」ということです。「生成する」のは、「生きている」ということにほかなりません。
【湧いてくること】
・ファシリテーターという役割として、…という前提から自分の一側面だけを場にだそうとすることへの違和感。特に、「この役割を担っているのだから、何かを与えるべきなのだ」という考えへの違和感。その考えによって、本来もっているはずの力が発揮できなくなるもどかしさ
・「お金をもらう側」「払う側」という立場・構造の違いから感じるぎこちなさ、かたさへの違和感。
第一部 ジェネレーターの誕生
創造的コラボレーションの担い手・ジェネレーター
【湧いてくること】
・「自分の中に内在する何かが動き始め、生まれ続けていくという考え方」になにかがすごくヒットする。「部分と全体が共に変化し、システムが常に生成的であると考える。」ってどういうことだろう・・・
・「その場で生まれてくることを共に体験する」という感覚がすごくわたしのなかでも大事にしていることにきづく
・「人間関係に疲れると、庭に出て手入れをする。それはとても豊かな世界との関わりとなり、自然の中に生きる生物としての自分を取り戻すことができる。」→最近、特にこのような体験がふえてきていると共に、この体験を潜在的に必要としているひとの多さを感じる
第二部 ジェネレーターの役割
【湧いてくること】
・ときによって、自分の「プライド」や「かっこつけたい」「こういう存在だと思われたい」という考えがかたく存在して、この生き生きさが現れてこない感じがする。一体どんなとき、どんな場で、どんなことがわたしの中の「失敗をみせないようにする」を生んでいるんだろう?
「ジェネレーターシップ」を発揮しているヒトの3つのふるまい
不確実な状況を「Accept」するジェネレーター
【湧いてくること】
・自分の中に余裕があまりなかったり、目的意識にひっぱられていると、「カオス」を歓迎したくない、秩序だって物事をすすめたい。と想うようになり、不確実な状況を「引き受けること」とか、「まずおもいついたことを表明してみる。」ができなくなりそう。→カオスから生まれてくる新たな可能性や創造性を面白がれる力や関係性がきも・・・?
ひらめき・偶然はこころをオープンにして
没入したときに飛び込んでくるもの
【湧いてくること】
・山登りをしたり、フルパワーで遊んだり、田んぼの畦きりをするなかで、もしくはサウナ→水風呂→外気浴をしている中で、「からっぽ」になっていく、そしてひらめきや直感につながるという体験をしたことがある。なにも考えられないくらい身体をうごかす。呼吸をするくらいがやっとだというくらいのところまでいったとき、右足がいたい、とか首が熱い、とか身体の感覚だけにきづき、思考がとまっていく。そんななかで、ぐるぐるする思考のレイヤーから、ハラの感覚にチューニングされ、(無駄な考えが削ぎ落とされ)なにかひらめきや、本質的な声だけが聴こえてくる感じがする。
・頭優位で、感覚に意識をむけることが難しいというひと・もしくは状況においては、(例えば、NVCでいう「ニーズにつながる」の代わりに「ニーズを探す」感覚に迷い込んでしまうとき)何か、身体を動かして頭を空っぽにするのが役に立つのかもしれない。
ジェネレーターの生成の場となる ー 中動態としてしか表せない出来事
最後にジェネレーターシップとは何かということをまとめてみよう。