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「手あて」って怪しさしかないですが。

ヨガをゲストに案内する際に、意識する場所を触ってお伝えすることがあります。

わたしも触れて教えていただいているわけですが、先生によって触られた感じが違います。わたしと先生との相性もあるだろうけど、それ以上になにかある気がします。触り方が違うのだろうか、手のひらの温度が違うのだろうか。人となりから出ているオーラみたいなものだろうか。。。

ポーズ中、実際に触れて案内することを「アジャストメント」といいます。もっと上手にアジャストできるようになるためには、まずは自分の身体の動き方を知ることがもっとも大事ですが、3年前、なぜかわたしは手あてをならってしまいました。そう、コロナ禍に入る前の年の春ごろでした。未来永劫触ってお伝えできるはずだったあのころ。

アシュタンガヨガの練習で、身体の深いところの使い方まで学べてなくて、四苦八苦していたあのころです。とにかく練習したいのだけど、どうやったらその場所から抜け出せるのかまったく分からず、方向性を見失い、少し無理するとケガをして、だましだまし進んでいました。(アシュタンガヨガのアーサナ的な進捗でいうと、ちょうどセカンドに入ってカポターサナからエーカパーダシルシアーサナ、ドゥイパーダシルシアーサナ、ヨーガナドラーの足掛けシリーズにかかるころでしょうか。ブリッジのドロップバック&カムアップもやっと行っている段階。このころがいちばんトラップにハマる人多数)。
それでもいいヨガ先生になること=まずは自分の身体で知ること=ポーズができるようになることだと信じて疑わず、やみくもにいろいろ試しました。有名な骨盤アナトミーレッスンを受けたり、倒立系のレッスンを受けたり、ジムでトレーニング、それからボイストレーニングなんかもしてました。とにかく試行錯誤して抜け出したかったのです。

試行錯誤のうち、「手あて」のレッスンを2時間×5回で10時間くらいで学べるという一連の授業をワンツーマンで(!)受けました。直後、手技的なものはマスターできたけれど、いろいろ腑に落ちてなくて、ただ、ハンドパワー的なものを取得したのだと考えていました。

その後のコロナ禍で、陰ヨガの勉強にて東洋医学や神智学、筋膜について、また、アレクサンダーテクニーク、瞑想の勉強から仏教、般若心経などを学びました。

そうして、それらすべてに共通しているセオリーを見つけました。例えば、細胞のひとつひとつ、筋膜のひとつひとつ、骨のひとつひとつ、臓器のひとつひとつ、心のあり方も、これらのトレーニングやテクニック、ワークはすべて、元あった位置、ありのままの場所、ニュートラルポジションに戻すためのものでした。まさに「Let it be」(=レットイットビー)なのでした。どうこうしようと脳が考えても、身体の方がかしこいし、また、細胞の方がかしこいし、人間より自然の方が、宇宙規模に至るまで、レットイットビーなのでした。

レットイットビー精神はあやしいかもしれないのですが、ヨガも一緒で、身体のパーツのすべてを元あった場所に戻してあげることをしています。わたしも2年前まで自転車で後ろを振り向けなかったのですが、その首の状況に気付かないくらい、何も感じていませんでした。でもいろいろと学ぶうちに、元の状態に戻すことができて、いまでは自転車で簡単に後ろを振り向いて安全確認ができるようになりました。

わたしたちは、「特にアシュタンガヨガの練習生は)、たまにヨガでケガをするということがありますが、その場合、先生を変えてみるのもいいかもしれません。わたしがいい先生に巡り会ったように。正しい身体への意識を教えてくれる師との出会いを求めてみることをオススメします。
身体の声、心の声に敏感になり、痛みのない、もともと授かった身体に戻るための練習ができらたら最高ですね。

レットイットビーを聴いていて、そういえば、「手あて」の先生がこの言葉を使っていたなと思い出してこの記事を書きました。ただ、このコロナ禍、接触はNGなので、手をあてられない、触れられないのがつらいです。

ウイルスが活動に飽き、元の生活に戻る日がはやくやってきますように。(3回目のワクチン接種から2日が経過して、ワクチンのおかげか後屈が深く入り、倒立も少しうまく上がれるようになったのりたまヨガでした)


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