見出し画像

コロッケは手作りじゃなくても


無事(?)実家から逃げ、一人暮らしの引きこもりLIFEに逆もどり中のひまわりです。
ご心配をおかけしました🙇‍♂️


相変わらず何もやる気がないので、月9ドラマ『海のはじまり』を何度も見てます。
私にとっては、この作品との出会いが機能不全家族やACについて理解を深めるきっかけになった気がします。



余談ですが最近の悩み…
私は嬉しくも恐れ多いことに、古川琴音さんに似てるとよく言われます。
というか、性格も相まって『海のはじまり』の南雲水季はまさに私の生き写しで変な気持ちになります😅


旧ジャニーズタレントとの共演も多いので、知人には「似すぎてて泣けるシーンも泣けないから出てこないでよ!」と言われる始末です。
いや私じゃないし、共演できるならしたいわ笑


閑話休題、このドラマでは、生活力や家庭のステータスの表象としてコロッケが扱われていると感じました。


仕事終わりにスーパーで買うコロッケ
当たり前のようにできたてが食卓に並ぶコロッケ
誰かを想って必死に手作りするコロッケ
値引きシールを狙って買いに行くコロッケ

…数々のシーンにコロッケが登場します。


コロッケは、単品ではメインディッシュになりにくいですが比較的安価で手に入るお惣菜です。


だからこそ、
コロッケを手作りする余裕、値引きコロッケが日常的に夕飯のメニューになる経済状況etc.
といった、さまざまな家庭のカタチが思い浮かびます。


私も、コロッケと我が機能不全家族にはたくさんの思い出があります。

今回のnoteは、実家から逃げ出した今、私が機能不全家族で生きた証を受け止めるための記録です。


〜小学3年生くらいまで
「コロッケもう飽きた」

我が家は、母方の祖父母、両親、弟と私の6人家族でした。
広大な自然に囲まれながら、片田舎の村社会で生きてきました。


当時祖父母は健在で、稼ぎは無いものの自給自足できるくらいに大きな畑を持っていました。


両親は共働きでどちらも帰りが遅いため、台所は祖母が主導権を握っていました。


当時は、祖父母と2日おきに行く買い物が楽しみで楽しみで。祖父母からは「金魚のフン」と呼ばれてました。🐟


今では信じられませんが、近所にあった激安スーパーの特売日ではコロッケが1つ10円でした笑


祖母はこの日を狙ってはコロッケを買いだめ、特売日から3日間ほどは我が家の夕飯は連日コロッケとなるのです。


当時の私は
「おばあちゃん、コロッケ飽きた。いつまで続くの。」

と呆れていたそうです。(そりゃそうだ。)
その後もコロッケが食卓に並ぶ度に、母が私の真似をして言いました。


小学3年生〜中学生
「割引求めて夜中のスーパーへ」


私が小学校4年生に上がる年くらいには、祖母は台所引退宣言をしていました。


祖母は、息を吐くようにこのように言っておりました。


「畑仕事があるのに夕飯の準備なんてできない。お前ら(ひまわりの両親)は畑の草1本抜かないくせに。
お前(ひまわり)のオヤジは寝腐ってばかりだ。畑仕事もしないで。」


強調しますが、私の両親は共働きでした。
こと父親はブルーカラーの仕事で、週6で朝から晩まで働いておりました。

父は休みの日はお昼近くまで寝ておりました。フルタイム就労を経験した今の私だから言えますが、あの歳であの職場環境で、仕事以外の時間を家事や畑仕事に充てるなど到底ムリだったと思います。

しかし、当時の私は祖母に洗脳のように父の悪口を刷り込まれていたために、父=ダメ人間という思い込みがありました

実際、酒とタバコに溺れ暴言を吐くという人ではありましたが、今考えると仕方ないことだったのかもしれないと思います。

肉体労働しかできないなりにお金を稼ぐために必死で、
ストレス発散できる趣味もなく、
40を過ぎてムラ社会に飛び込んだ婿
という完全アウェイな父の生きづらさは計り知れません。


もちろん祖父母が畑を続ければ両親の出費は抑えられます。
しかし、母は「もう辞めてもいい」と何度も祖父母を諭してました。


一方祖父母はムラ社会のプライドがあったのか、集落のほぼ全戸が農家だったために中々畑は辞めようとしませんでした。


そこで、その後は母が台所担当を代わりました。
平日は母の仕事終わり、夜遅くに夕飯を食べ、その後閉店間際のスーパーに滑り込み、値引きシールが貼られたお惣菜を買うことがお決まりの流れでした。


特に半額になりやすかったのがコロッケで、相変わらずコロッケ地獄が続くのです。笑


祖母は何重にも貼られた半額シールを1枚1枚剥がし、値引きの回数を数えては
「あんたのお母さんはお買い物上手ですねぇ〜」
と嫌らしく喚くのでした。
あんたも10円コロッケ爆買いしてたクセに。


高校生〜上京まで
「コロッケなんておかずじゃない」


祖父が亡くなり、この頃から祖母の痴呆が進行していきます。


両親は相変わらず共働き。
高齢での結婚&出産だったため、年々仕事もしんどそうでした。


祖母は口だけは達者なまま。そんな祖母に怒る両親、そして夫婦喧嘩、弟の反抗期による父との殴り合い。

家庭内は常時ピリついており、いつ誰かが誰かを殺めてもおかしくない状況にありました。まともな人間は私だけでした。

実際、物の破損やケガなんて可愛いものでした。


進学校かつ厳しい運動部に所属していた私も、試験や試合が迫る度に家庭環境も相まって精神が破滅しそうでした。


それでも「子はかすがい」というように、
私が最後の砦だ。私さえ成功者になれれば。
と自分を奮い立たせるのでした。



当時、試合のために痩せたくてダイエットをして以来拒食傾向になってしまった私は、自分に
・20時以降は食事禁止
・夕食は炭水化物抜き
というルールを課していました。


両親の帰りは遅い。
未だに夕飯の主役はコロッケ(揚げ物かつ炭水化物)。


そんな日々が続いたある日、私は日頃のストレスと自分ルールが守れないことの怒りとにより母にブチ切れてしまいました。


「コロッケなんておかずにならないじゃん、何を食べろって言うんだよ!!!もう夕飯なんていらないよ!!!!!」


箸を投げて自室に篭もりました。



それから大学入学と共に上京、一人暮らしを始めて以降は5年ほどコロッケを口にしていないです。


相変わらずの摂食障害なのか、本当に食べ飽きたのかは分かりません。


手作りコロッケなんて望んでない。
既製品でもいい。
コロッケがおかずかどうかも関係ない。
毎日割引のコロッケでもいい。


いがみあって唾飛ばしあう食卓じゃなく、
頷きあって微笑みあう、温かな食卓に居たかった。


ここまで読んでくださった皆さんが家庭をもたれる際には、

どうか、せめて食卓だけは子どもにとっての安全地帯として、温かな空間を保っていただきたいです。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?