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先生と豚⑥

「強盗なんてできないよ」
 放課後の準備室で柿崎は断言した。
 紅林が柿崎と協定を結んでから一週間が過ぎていた。
「はぁ? いまさら何言ってんですか」
 逃げられないと言ったのは柿崎のほうだったはずだ。それが今後の指示を仰ぐために入室した生徒に向ける言葉なのか、と言いたい。しかし柿崎は紅林のそんな思いは露とも知らず答えた。
「だって銀行強盗って、昼間に襲って金を出せぇって脅して金を盗むでしょ。そんな危険なこと僕はやりたくないもん」
 紅林が何か言おうとしたが柿崎に遮られた。
「何もやめるなんて言ってないよ。ただね、勘違いされるとこまるから。僕らがするのは強盗なんかじゃない、人知れず金を盗むんだということ」
 言って柿崎はカードを取り出した。
 何だよこれ、と紅林はぞんざいに訊いた。柿崎が自分の反応をいちいち楽しんでいるようで少し腹が立ったのだ。しかしそれを言うと柿崎にこれくらいのことで腹を立てていては先が持たないと返されそうで紅林はなんとか不満を飲み込んでいた。
「とある銀行の入館証だね。これを使ってなかに潜り込んでかっさらおうと思ってるんだ」
「こんなのどこで手に入れたんだよ」
 カードを手にとって紅林は訊く。その入館証はクレジットカードによく似ており、銀行名とバーコード、数字の羅列が印字されていた。
「僕には協力してくれる人がいるからね。その伝手で色々銀行内のことを調べてもらったんだよ。ああ、因みにそれ、仮入館証だから顔写真はついてないんだ。まぁついてると色々まずいからね」
「仮? なんでそんなの作れるんだよ」
「だから伝手だよ。つ、て。協力者が社内の人の入館証を拾ってね、返してあげるときに仮入館証を預かったんだって」
 受付に用事があるから自分がついでに返しておこうと申し出たらしい。そう柿崎は説明したが、見知らぬ相手にそんなことを任せるものなのか紅林は疑問に思う。
「それ、明らかに怪しいだろ」
「案外ね、分からないものだよ。現にこうして入館証は手に入ったんだしね」
「……」
 紅林がまだ胡散臭そうに入館証をいじっていると、柿崎は研究机の上に折りたたまれて無造作に置かれた紙と数字が書かれたメモ用紙を紅林に見せた。
 これは、と紅林は訝しげに訊く。
 柿崎はにこりと笑んで、紙を広げた。おおよそレポート用紙ほどの大きさのそれにはどこかの建物の見取り図が描かれていた。ところどころに赤い点と矢印がついている。
「これって、まさか……」
「そう、銀行の見取り図。これ持ってれば迷うことなく行けるでしょ? 因みにこの赤いのは監視カメラの位置で、矢印はそれの向いてる方向を示してるんだよ。どう? 僕の伝手、凄いでしょ?」
「凄いって言うか……」
 これだけ用意がいいと逆に怪しく思える。
「信用できるんですか、これ?」
「少なくともその協力者は信用できると僕は思っているよ」
「……」
 あまりの手際のよさに紅林は釈然としなかったが、柿崎が信頼できると豪語しているのだから信じるよりなかった。
 ふと、思わず苦笑しそうになる。
(すっかり先生の言いなりだな、俺……)
 もう普通の関係には戻れないだろうと分かってはいたが、どうしてこんなことになったのか紅林はだんだん分からなくなってきていた。しかし目的を果たすためには仕方ないと割り切れるようにもなっていた。
慣れって怖いな、と紅林は他人事のように思う。
 柿崎は当日の行動手順を説明した。紅林は聞き漏らさないように真剣に聞いた。
 銀行には柿崎の協力者が現れるということだったが、柿崎は指定した時間に協力者が来なければ紅林ひとりで行動を起こすように命じた。柿崎は来ないのかと紅林が問うと、意地の悪そうな微笑が返ってくるだけだった。つまり自分が出向くつもりはないということかと悟り紅林は小さく舌打ちする。
「相変わらず卑怯なやり方だな、先生は」
 柿崎は笑みを浮かべるだけだ。
特に答えを期待していた訳でもないからそのまま続ける。
「その協力者って誰だよ。ちょくちょく出てきたけど、顔知らなきゃ確認出来ないだろ」
 ああ、と柿崎がわざとらしい声を上げた。
「そうだね、失念してたよ。でも大丈夫見れば分かるよ。目印を持たせたから」
 ふーん、と紅林は興味もなさそうに答える。どうせ追求しても無駄なのだろうとこれまでの経験で学んだ。
「ていうか、これぶっつけ本番なんですか?」
 大丈夫、と柿崎は笑う。
「距離とか時間も協力者が計ってくれてるからね。君が余程の方向音痴じゃない限り大丈夫だよ」

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