怒りと悲しいの感情と

先日、先々日と最期の挨拶を東京にある本社で行って来た。引き継ぎもあるけれど、こうやって人が少なってくるのに仕事は大量にのしかかる残る人のことも考えると、大変なことになってしまったなと思っている。仕事は大量なのに、出口の見えない戦いで、これは始まりに過ぎなくて、これから第2波、もしかしたら3波まできて、私たち人類が築いて来た世界をこの目に見えないウィルスに消滅させられるかもしれない。こればっかりはしょうがないので、暫くはコロナ下で何とか出来ることを見つけていかないといけないなぁと思っている。それにしても数日前から父に言われた言葉につかかっていた、レイオフされたのはコロナのせいで、もうこればっかりは致し方ないのだが、レイオフされるのは「雇われているからだ」と、そりゃそうだけど、まず先に「それは残念だったね、とか大丈夫?」とかって言葉を言うのが普通は先だと思うのに、そう言う部分がすっ飛んでいる。相変わらず、自閉症的なコミュ障の典型で、これを今更は治らないが、娘としてはこれを受け入れるのは本当に辛い。雇われていたって、人間だし、自営業だって失敗して潰れることだってある。どっちが偉いとかないと思う。どっちにもリスクがあって、そのリスクに対してアクションしていない事はダメだと思うけれど、それを失敗したり仕方がなかったりする環境を雇われてるのが悪いみたいな言い方しなくても良いと思った。私だって、別に好きで雇われをしているわけではない、自分で事業を起こせたらいいなとは思っているけれど、まだ何をしたらいいのか分からなかったりするからで、それだって事業を大きく出来ずに法人化せず、仕組みを作る側に行けなかったし、ストレスで鬱にもかかって、父のそんな生活見てても全く羨ましいとは思わなかった。これから急速な時代の変化が押し寄せてくる、それに適応できるだろうか?適応していくには痛みが伴う。それを恐れずに前に進まなければいけない。他人の評価に自分の人生の軸を置いたら負けだ。コアの部分と向き合わないといけない。これから何を望んでいるのか?自問の時間を取らないといけないなと。幸せになる為の時間を見つけたい。そうコミットしていかないと行けないと思っている。もっともっと多くの人が幸せになれる時間をより良い未来を望んで。

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