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【恐怖心との戦い】ペーパードライバー克服記

わたしは東京の下町で生まれ育った。入り組んだ狭い路地に、古い木造住宅が軒を連ねる。当然自家用車なんて無い。車に乗る機会は年に一度、夏休みに九州のおばあちゃんの家に行った時くらい。だから「車のある生活」というものが元々よく分からなかった。

これはそんな根っからの「運転怖い派」のわたしが免許を取り、地方都市でマイカー通勤するようになるまでの記録である。


序章 真冬の新潟で運転免許を取るということ

なんて静かなところだろう、と思った。

視界の遥か彼方まで、いちめんの冬田である。
遠景には外国の絵画のような美しい雪峰。

数年前、大学卒業を前に最後に一つチャレンジをしたいと思い立ち、運転免許合宿を申し込んだ。一番安い行先は、新潟県。広大な田園風景の中にぽつんと自動車学校はあった。到着した翌日には豪雪になり、帰路につくまで解けることなく降り続けた。

路上に積もった雪は車や人の足で踏み固められ、教習車はわだちの上をのろのろと走った。滑って危ないからとにかく車間距離を開けろと言われたのを覚えている。

「脇に寄せて止めてください」と言われても、道路脇には積雪がこんもりと寄せられていた。
「停止線で止まってください」と言われても、どんな線も見えなかった。

ひたすら真っ直ぐ伸びる雪道を走るだけで、きちんと運転した感覚がないまま気づけば免許を取得していた。


第1章 車社会・山口県へ

「車買わんのん?」と言われ続けた日々

大学卒業後、就職先で山口県の勤務地に配属され、生まれ育った東京の街から初めて離れることになった。山口は超がつくほどの車社会である。老若男女問わず一人一台車を持ち、徒歩5分で行けるスーパーも車で行く。

周りの人からは事あるごとに「そろそろ車買わんのん?」と言われた。「山口では車は必須ですよね!え?車を持ってない!?それは、不自由ですね~!」と言われたこともある。

だが下町の裕福ではない家に育った自分にとって、「車を買う人」というのは全く違う世界に住んでいるお金持ちのイメージだ。
「車を買う……とは……?」という感じで最初の頃はぽかんとしていて、やがて「山口県民として生きていくには車が運転できないとダメなのではないか」という強迫観念にも似た焦りに変わっていく。
ちなみに職場もスーパーも時間はかかるもののギリ徒歩で行けるため、必要最低限の生活は車が無くても営めるのだった。

運転してるのは運転上手い人ばかりじゃない

「運転は慣れだよ!」とみんな言う。だが助手席から見ている限り、ドライバーたちはメチャクチャ難しいことをしている気がしてくる。車線変更、狭い道の譲り合い、バック駐車、山道、複雑な道の把握、などなど……。とにかく臨機応変さが求められる。

そして運転技術は人によって明らかに差がある気がする。車があればどこにでも行ける人もいれば、何年も運転経験があっても会社と家の往復しかできない人もいる。わたしが運転することになった場合どちらになるのかは目に見えていた。何せ子どもの頃から絶望的な運動音痴。注意力も散漫。唯一の運転経験はまっすぐな雪道だけ。「運転は慣れ」なんてきっと嘘だ。

そしてズルズルとペーパードライバーに

そんなこんなで、運転に対する憧れはあるものの、豪雪の新潟でなんとなく免許を取ってしまったことの劣等感も相まって、運転に対するひどい恐怖心に支配されたまま数年が経ち、完全なペーパードライバーが出来上がっていた。
このままでは運転免許を取った意味がない。旅行先でずっと友達にレンタカーを運転させることになる。自分自身の力で、まだ見たことのない景色に出会いに行きたい……!でも、一度「怖い」と感じてしまうとその観念から抜け出すことは至難の業だった。

第2章 ペーパードライバー、車をもらう

名義変更ってこんなに面倒臭いの!?

今年の4月のこと。友達が転勤で山口県を去る際に、車を格安で譲渡してもらえることになった。ペーパードライバーが板についていた人生が大きく動いた瞬間だった。そして現実はそう甘くはないと学ぶ道もそこから始まっていたのだ。

個人間での軽自動車の譲渡には幾つかの公的な手続きが必要である。大きく分けると以下のようになる。

①車自体の名義変更
②自賠責保険の名義変更

このうち②については書類の郵送だけで済んだ(元の持ち主がやってくれたが、新名義人の印鑑も必要だった)。①は車検証の名義や軽自動車税の納税者がわたしの名前へと変わる。「軽自動車税の納税通知書を受け取る」ということが「車を所有する」ことの真の意味なのかもしれないと感じた。
このためにわざわざ軽自動車検査協会なる施設まで行ったのだが、正直、面倒臭かった。

無保険状態のまま放置へ

最後に必要なことは任意保険の加入だ。元の持ち主は解約し、新たな持ち主が新規で任意保険に加入する必要がある。だが生粋のペーパードライバーなのだからすぐには車に乗れない。乗ることになる直前に入ればいいや、と思って後回しにしてしまい、新年度の忙しさにかまけてすっかり車を放置した。

え?車って放置しちゃいけないんですか?

そしてつい先月(2024年6月)のこと、車を放置していることを職場の人に話した。すると、「車は放置したらバッテリー上がっちゃいますよ」とのこと。

え???どゆこと???バッテリーが上がる……とは?

無知とは恐ろしい。車に搭載されているバッテリーはエンジンの回転によって蓄電され、放置しておくと自然放電が起こってしまうという。バッテリーが上がったらエンジンがかからなくなり、他の車から電気を分けてもらったり、カーレスキュー等を呼んだりする必要があるらしい。

エンジンのかけ方が分からない

ゆっくり乗れるようになればいいや、と思っていたわたしは突如として対処の必要に迫られ暗澹たる気持ちになった。使うことで擦り減るのではなく、使わないことでダメになるなんて聞いたことが無い。車は文明の利器だと信じていたのに、なんて手間がかかる代物なのだろう!わたしは車をもらったことを後悔し始めていた。

とりあえず一刻も早くバッテリーの状態を確認するため、車のエンジンスイッチを押してみた。すると、速度メーターの周りに何かおどろおどろしい赤いランプがたくさん点く。調べてみると、赤いランプは警告灯らしい。

え、何かヤバくない?急いで友達に連絡。
「車は動くの?」
「え?」
「Dに入れて動かしてみて?」
「……いや、動かないけど……」
「それ、バッテリー上がってるね」
「やっぱり~!」
「今日は無理だけど明日そっち行くよ」
……とほほ、友達に迷惑をかけることになってしまった。

翌日、会社の人にその話をすると、
「……エンジンはブレーキ踏まないとかからないよ?」

え~~~~~!!!そうだったのか!!!(アホ)

まったくわたしは、稀代のアホである。生粋のペーパードライバーになるとエンジンのかけかたすら忘れてしまう。急いで帰宅し、ブレーキを踏みながらスイッチを押してみると、無事にかかりました。警告灯らしきランプもエンジンがかかるとすべて消えた。ホッとした……。

第3章 ペーパードライバー講習へ行く

しかしこれ以上の放置は車にとって良くないだろう。一刻も早く乗れるようにならなければ!ということで自動車学校のペーパードライバー講習に申し込む。受講料はぞっとするほど高かった。安心して車に乗るためには必須だ……と割り切る。そして任意保険にも忘れずに加入。

1日目:自動車学校の場内はミニチュアの世界

2024年7月1日。送迎バスに揺られ、心臓バクバク状態で自動車学校へ。教官が優しい女性の方だったのでスッと緊張がほぐれる。まず助手席に座り、場内で右折と左折のハンドルの切り方の違いや、交差点での安全確認方法などをおさらい。いよいよ運転席に座り、数年ぶりに車を動かす。心は一気にあの豪雪の新潟に帰っていく。

場内の道は狭く、交差点を曲がれと言われても実際の道路と違い過ぎてよく分からない。ハンドルの切り方が足りなくて曲がり切れない。でも一時間練習したことで、なんとなく感覚がよみがえってきた気がする。

2日目:路上に出るも右折で恐怖する

2回目はザ・自動車学校の教官、という感じの癖の強いおじさんだった。この感じも懐かしい。ビビるわたしに、大丈夫、行ってみよう!という感じであっという間に公道に出ることになってしまった。自動車学校の門をくぐると早速大きな交差点があり、右折しろと言われる。めちゃくちゃ怖い!右折できるタイミングがよくわからない。なんとか曲がれたものの、今度は時速60kmが出せない。どんどん遅くなり、他の車に追い抜かれる。こ、怖いよ~!でも前回の場内よりもずっと楽しかった。

3日目:美容師みたいな教官と会話の余裕が生まれる

2回ではまだ自信がつかないと感じ、3回目を予約。完全に自動車学校廃課金ユーザーである。今回の教官は若い男性で、「お仕事は何されてるんですか?」とか「休日はどう過ごしてるんですか?」と美容師みたいな会話をたくさん投げてきた。路上を走っているうちに、だんだんそんな会話を楽しむ余裕が生まれてきた。

ちなみにこの人は今まででいちばん親切な教官だったと思う。ゆっくりで大丈夫、後ろで舌打ちされたってその人と会うことは無いんだから!と励ましてくれたし、時間オーバーしかけても最後まで色々なことを教えてくれた。

4日目:バック駐車をひたすら練習

路上に出る恐怖は大分なくなったものの、まだ肝心の駐車の方法が分からない!ということでダメ押しの4回目を予約。なかなかペーパードライバー講習に4回も行く人間はいないだろう。ひたすら学校の駐車場に車をバックで入れる練習をする。コツを図に書いて教えてもらった。世の人はどうやってバック駐車しているのかずっと謎だったが、サイドミラーを駆使しているということが分かった。それなら思っていたよりも怖くないかもしれない!

このあたりから、慣れない運転で背筋を駆使したせいで背中に痛みを感じ始める。緊張で前のめりに力を入れて運転したせいでもあると思う。痛くて仕方なくて、毎日ヨガをしてほぐしていた。

第4章 友達を助手席に乗せ運転強化合宿!

自動車整備工場へ

3連休に県外の友達に泊まりに来てもらい、強制的に運転の練習をしまくることにした。まずはバッテリー死にかけ疑惑のある車を整備工場へ持っていく。まだ大きな道路に出る自信が無いので友達に運んでもらった。

3~4か月くらい放置した車は、あらゆる箇所がボロボロだった(笑)
エンジンオイルを交換し、タイヤの空気圧を充填。亀裂の入っていたワイパーゴムも付け替えた。バッテリーは意外にも大丈夫だった。ドロドロに汚れていたので洗車機にもかけてもらう。

いざ、萩までロングドライブへ!

今思うとよく決行したなと思うのだが、初めてのマイカードライブの行先は山口県萩市。日本海沿いの風光明媚な街である。瀬戸内海側のわたしの家からは山を越えて真逆だ。下道で数時間の道のりを、助手席の友達にたくさん口出ししてもらいながら、なんとか走破した。この旅の様子は別の記事にできたらなと思う。

まだスピードを出すのが苦手で、車線が一本しかない道になるとあっという間に後続車が詰まってしまう。バス停などに寄せて道を頻繁に譲りながら、ゆっくりと進んだ。ドキドキしたけれど、それよりも自分の力で移動していることの楽しさや嬉しさのほうが勝った。
「ようこそ萩へ」の看板を見た瞬間、やり遂げたぞ……!と感動した。

ひとりで会社に行く練習をする

最終日は家と会社を往復する練習をした。友達には後部座席に乗ってもらい、疑似的にひとり運転状態を作り出す。ガソリンスタンドの使い方も教えてもらった。よく通うことになるであろうスーパーにも行った。最後は友達を駅まで送り、駅からは初めてのひとり運転をして帰った。まだ運転は下手くそで、フラフラ走る車になっていたと思う。とてもドキドキしていた。

第5章 現在―会社に行くのも大冒険

怒涛の運転強化合宿から一週間。現在わたしは毎日マイカー通勤をし、たまに帰りにスーパーに寄って買い物をしている。7月1日から練習を始めたので、一か月ない期間でなんとか通勤できるようになるまでペーパードライバーを克服したことになる。ここ数日は背中の痛みも取れ、ひとりで車に乗っていても心臓がドキドキすることもなくなってきた。

だが長年のペーパードライバー精神が染み付いてるわたしにとっては、まだ毎日が冒険だ。同じ道を通っているのに、毎日違うことが起こる。左折をしたら右折車に割り込まれてびっくりしたり、狭い道で対向車に出会いあたふたしたり。本当に運転に慣れるにはまだ時間が必要そうだ。

「自分は絶対に運転が下手くそだ!だって新潟のずっと真っ直ぐな道しか運転せずに免許を取ったのだから……」
そう思い込んでいたが、実際に自分が運転を始めてみて、「下手かどうか」というのはまだよく分からない。経験値が少なすぎるのだ。(めちゃくちゃ上手ではないのは確かだが…)
これからゆっくりと自分の限界を見極めていきたいと思う。

それでもわたしは必要最低限の運転ができるようになった。これから先、たくさんの道がわたしを待っている。行ったことのない場所に行き、見たことのない風景に出会えるだろう。そのことが楽しみで仕方がない。

不安はまだあるけれど、一歩踏み出す勇気をたくさん振り絞り、それに応えるようにたくさんの人が助けてくれたからここまで来れた。車が無いことは不自由、だなんて思わないけど、ひとりで車に乗っている時の静かでわくわくする感覚は、たしかに少し自由に似ている。


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