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縄文にハマりそう。

アジアンドキュメンタリーズで『縄文にハマる人々』を観た。

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1万年続いたといわれる縄文時代。

眺めれば眺めるほど疑問が湧いてくる。縄文土器のこの形、この模様。なぜふちのところにツノのようなものがいくつも付いているのか。煮炊きには向いていないよね...。土偶のこの顔、このフォルム。たしかに人のようにも見えるけど、この発想はどこから湧いてくるのだろう。「なんでこの形にしたの?」「この模様にはどんな意味が?」「これ、なにに使うの?」─── タイムスリップして尋ねてみたいことはたくさんある。
でももしかしたら、過剰に意味を見出そうとしているだけなのかな。わたしが小学生の頃、図工の時間につくった作品がたまたま数千年先まで残っちゃって、「この渦巻き模様はおそらく宇宙をあらわし・・・」って分析されても困るよなあ。
あ、うっかり国宝と並べてしまった。

いまから約5000年ほど前の縄文中期と呼ばれる時代の土器は、ほかの時代のものと比べても、とくに模様が力強く、形も凝っていて、「動」的な生命力を感じる。気の遠くなるような時を経て、いまわたしの目の前にある土器。どんなことを考えながら土を捏ね形をつくり、模様や飾りをつけて焼いたのだろう。

未だに正解はわからず、おそらくこの先も100%の正解がわかることはなく、謎は謎のまま。映画中にも出てくるが、「これは墓だ」と言ってみても、そもそもお墓に対する思いが違ったら?数千年も前のこと。「器」「死」「命」「祈り」それぞれに対する概念は今とは別物だったかもしれない。だとしたら、その解釈は目の前にある土器や遺跡をむしろ見えなくしてしまう。

これが日常使い用???たくさんのはてなマークが浮かぶけど、それは「普段使いならシンプルで丈夫なものが良い」みたいな思考から出発しているから。そもそもそんな枠組みから外れた、まったく違う世界を生きていたとしたら。今にとらわれずあれこれ自由に想像してみるって意外と難しい。だけど、面白い。きっと、共通している部分もあるだろう。ものづくりが好きな人もいれば、珍しい植物を見つけることが得意な人もいたんじゃないかな。縄文の人たちは、雨上がりの虹を見てなにを思っただろう。

インターネットが普及したのは、わたしが小学生の頃だった。スマートフォンは大学の頃。だから、いわゆる生まれた時からネットが身近にあるようなデジタルネイティブ世代とはちょっと違う。ただ、今の暮らしや仕事にパソコンやスマホは欠かせない存在になっている。当たり前になり過ぎて、インターネットで世界の情報が瞬時に手に入り、アプリを使えば遠くに住む家族とも電話がかけ放題、みたいなこの「感じ」がずっと続いているようにも錯覚する。でも考えてみれば、それもせいぜいこの10年〜20年のことなんだ。わお。

1万年続いた縄文時代に比べると現代は本当に僅かな時間。そのほんのひとときの間に、ヒトと自然の関係も、生命の捉え方も随分と変わったのだろうな。懐古するほどの歴史をまだ生きてきていないから「昔は良かった」なんて言うつもりはない。現代に生まれたからには、現代だからできることをして(そういえば縄文時代には文字がなかったそうだ)、生を謳歌したい。

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ただ、すこしだけ引っかかる。このまま突き進んで、7世代先はおろか、子や孫の世代に、どんな風景を残すことができるだろう。豊かさの定義なんて人それぞれだけど、一度壊してしまうと、あとから大切だったと気づいても、手遅れになることもある。

想像してみる。たとえば1000年という時の流れ。電車が10分遅れただけでもそわそわしてしまうのに、1000年ってどのくらいの長さなのかもはやよくわからない。でも「縄文にハマる人々」を観て、「ああ、あのユーモラスな顔の土偶は、5000年前につくられたのか」って思うと、1000年という時間軸がすこし身近なものになった。

渦中にいるとき、もがいているとき、もうお手上げだよと思うとき、自分をどんと突き放して見るのは難しい。
忙しないわたしたちはこの瞬間を一所懸命に生きている。そんな日常の時の流れとはべつに100年、1000年、地層に興味のある人なら1万年(!)、いくつかの時間軸を自分の中に持っていたら、目に映る現実は、また違ったものになるのかもしれない。

5000年前に誰かが手を動かしてつくった土器が、いまここにある。
わたしが触れた土器のカケラを、数千年前、誰かが同じように触っていた。
なんというか、それはものすごく壮大で奇跡的なことのような気もするし、なんてことはない、「届けてくれてありがとね」ぐらいの軽さですっと受け止めてしまってもいいことのような気もする。

歴史に苦手意識があり、教科書通りの知識しか持ち合わせていないわたしも、思わず「縄文にハマり」そうになる映画でした。


縄文といえば、昔読んだ森沢明夫さんの『ライアの祈り』も良かったなぁ。



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