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夕飯準備のカオスから気づかされた選択する大切さ

今日伝えたいのは、選択肢はどんな状況下でもいくつか見つけられる。
その選択肢から選ぶのは他の誰でもないオカンである自分自身なのだと言うこと。
選択する大切さについて書いてみた。

私のエピソードを交えて説明よう。
息子の体力の発散に加え、娘のお喋り攻撃&体力発散の公園に耐えやっとの思いで息子を寝かしつけたはずだった。
そして寝ている隙に夕飯の支度を済ます。
本音を言えば座りたい。
そう座りたいのだ。
私の願いはそれ一点。
しかし息子が寝ている間が家事が捗る唯一の時間なのだ。
座りたい願望を一身に受け止めつつも夕飯の支度を私は選択した。
せめて楽しんで夕飯作りがしたいと思い、好きな音楽を小さな小さな音量でかけ早めにプシュッと一杯いただくことに決めた。
そうして少し腰の重い夕飯作りを自分なりに楽しむ下準備をしたにも関わらず、奴は目覚めてしまったのだ。

ウソでしょಠ_ಠ⤵︎⤵︎
早くはないかい?
さっき寝たばかりでないかい?

そんなことを思っても目覚めたものはもうどうしようもない。
部屋中反響する喚き声、待ってはくれない青梗菜が焦げる様。
助けてください!
キッチンの中心で叫ぶ私。
無言で絵を描き続ける娘。
カオスだ。
ここでいつもならイライラし、私も喚き半狂乱になるのだが今日はやめた。
もうそのお決まりのスチュエーションに自ら終止符を打ったのだ。
さぁ、焦げゆく青梗菜を救うのだ。
息子は泣き叫び足に絡みつくがお構いなしだ。
状況は何一つ良くないし、いつもと変わらない。
しかし、大事なことは私たちオカンにはどんな過酷な状況下であっても選択肢があると言うことだ。

私の場合で言えば火を止めて息子を抱っこすることもできるし、抱っこしつつ炒めることも出来なくもない。
料理自体を一旦休止することも可能だし、私のように息子に対して無を貫くことだってできるのだ。
何を選ぶかは息子じゃない。
オカンである私自身なのだ。
こんなカオスな状況下では料理を一旦中断するほかない。
息子を抱っこして落ち着かせるしか選択肢がないと思わないでほしい。
一択しかない、それしか方法が無いと思うと私はとてつもなく苦しくなってしまう。
だから、どんな状況下であってもいくつかの選択肢を無理くり見つけ(笑)、
自分で選択する意識を必ず持つようにしている。
そうすることでカオスな状況は何一つ変わらないのだが、その後の選択で疲労感、自責を軽減できるのだ。
簡単に言えば心の持ちよう。
さらには屁理屈のようにも感じるがされど屁理屈なのだ。
そんな風に少しでも自分に優しい選択を自分自身でできるオカンが増えますようにと切に願ってしまう今日でした。

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