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自己紹介〜ゆうのって何者?〜(前編)

改めて、今更ながらの自己紹介をしてみたくなったので、してみます。笑
こんな人なんだ、こんなストーリーがあってnoteで発信してるんだなど、私を少しでも身近に感じていただけたら、と言う目的で書いています。
私は、「ゆうの」と言うクリエイター名で、発信をしている2児のオカンです。
現在は長女、長男、夫との4人家族です。
私を一言で表すなら「ド真面目」がピッタリ
私って、どんな人?って聞くと、大概「真面目だよね〜」って返ってくるほど。
何の面白みもない人間のようで、昔はこの「真面目」という言葉で表現されることが、嫌いで仕方ありませんでした。
しかし、今はこの真面目さがあったからこそ、と思えることもしばしばあり、自分の好きな所でもあり、長所でもあるなと感じております。
さぁ、そんな真面目だけが取り柄の私の歴史を、ざっと自分史にして振り返っていきたいと思います。
皆さんもよかったら一度、自分の歴史を書き出してみてください!
いろんな発見がありますよ^ ^

幼少期〜大学時代編

幼少期は、本当に言葉の遅い子供だったそうです。
今は、こんなベラベラと話す私に、母は、人の成長の恐ろしさを感じているのではないかと思います。
そして、言葉が出ない癖に、感情表現は爆発的な子供でした。
しかし、それは怒りと言う感情表現のみだったのです!
書いていて、自分でも思うのですが、怖いですよね。
そんな子供。笑
きっと、母も扱いづらい娘だったのだろうと思います。
怒りでしか、悲しいや寂しいと言った感情を、表に出せない子供だったそうです。
そんな子供時代だったため、もちろんのごとく友人はとてつもなく少なかったです。

思春期に入ると、恋愛をしたりして、交友関係も多少は広がりましたが、やはり私にとって、人間関係を築くのは至難の業でした。
大人になった今でも、中学時代、高校時代の友人が残ってくれていると言うことに、感謝しかありません。

しかし、人生の転換期が20代から幾度もやってきました。
まずは、自分の身の丈に合わない大学を選んだことが、事の始まりでした。
大学と言う、人生の大切な選択の一つを、当時の私は全く深く考えていませんでした。
なので、大学を決めた理由が、父の一声がきっかけでした。
「あの女子大、めちゃくちゃ憧れあったんよな〜。だから、あの女子大にしたら?」
何ともふざけた理由ですが、私は何の疑いもなく、そうだ、その大学へ行こう!と即座に決めてしまったのです。
当時の私は、全く自分の意思や、思いの無い人間でした。
今から考えたら、「えっ?なんで?自分の人生でしょ?何で他人任せなんよ!」と、怒り出してしまいそうですが。
人は変わるもんですね〜。笑
当時の私は、自分で何かを選択すると言う感覚などこれっぽっちも無く、自分の人生なのに、いつもどこか他人の事のように感じていました。
今考えると、恐ろしいですし、我が子にはそんな風になって欲しくありません。
親のエゴですが。笑
しかし、当時のその他人任せの選択が吉と出て、今までの自分には考えられないほど、友人に恵まれ、楽しいキャンパスライフを送ったのです。
まさに、父の一声が、転機のきっかけとなったのです。
大学時代では、これまでの交友関係とは全く異り、深く親密であり、信頼の上に成り立つ関係性を築くことが出来ました。
これまでの交友関係と、何が違ったのだろう?
今だからこそ、振り返って考えることができるように思います。

大学時代の私に何が起こったのか


これまでの私は、ずっと他人の目ばかりを気にして生きていたように思います。
こう言ったら、あの子に何て思われるだろうか。
こう行動したら、みんなにがっかりされるだろうか。
人の反応次第で一喜一憂し、他人が望む自分でいようと、そんな事ばかりを考えていたように思います。
だからか、段々話すことが怖くなり、きっとこんな私なんかと友達になりたい人なんていない、と思うようになりました。
そして、いつしかこんな私(暗く、捻くれ者で、すぐイライラして、他人を一切信頼しない、傷つくことから逃げる卑怯者)で生きることを、無意識のうちに選択するようになったのだと思います。
しかし、ずっとどこかでこんな自分から変わりたい、私もあんな風に人気者になりたい、誰かに大切にされる人になりたいと、強く願っていたのだと思います。
そして、一世一代のこれでもか、と思うほどの勇気を振り絞って、大学デビューを果たしたのです。笑
初めは真似事から入りました。
中学時代、高校時代に憧れた友人の良いところを書き出して、その子のように振舞ってみました。
初めは違和感でしかなく、根暗のくせに何やってんだろう…とすぐ後ろ向きな悪い癖が出てきては、私の行く手を阻みました。
それでも、私はやっぱり諦めず、その振る舞いをやり続けました。
私は人気者な私になりたかったし、何よりもみんなと楽しく笑って過ごす、素敵な女の子になりたかったのです。
この人生最大の勇気のおかげで、私に次々と友人が出来たのです。
起こったことばかりに注目していましたが、何か奇跡が起こったわけでも、特別最高の友人が現れた訳でもありませんでした。
起こったのは、自分の変化だったのです。

これまでの私に無くて、大学時代から有ったものって何だったのだろう?

起こった変化を考えていると、一つの問いが浮かびました。
これまでの私には無く、大学時代から有ったものって何だったのだろう、と。
その答えは、今なら分かる気がするします。
それは、「嫌われる勇気」だったのかもしれないな、と。
これまでの私は、ずっと自分の根暗な性格が原因だと思っていました。

この性格でさえなければ…。
私だって…。
自分の育った環境や、言葉の発達の遅れ、思いを言葉にする機会をくれなかった両親のせいにばかりし、こんな性格になったのは、父や母のせいだと本気で思っていたのです。
そんな環境じゃなく、私も愛された環境で育ててもらっていたら、きっと人気者になれたのに。
こんな性格になんてならなかったのに。
と、他人のせいにばかりし、自分の勇気の無さに目を向けることもしなかったのです。

この事実に気づいたのは、お恥ずかしい話ですがほんの数年前の話です。笑
ずっと誰かのせいにして生きている方が、ずっと楽だったからなんですよね。

こんな感じでざっと幼少期から大学時代まで、私の歴史と人柄、そして、転機と気づきについて書いてみましたが、当時の私の臆病過ぎる人柄が、少しでも伝わったでしょうか?笑
こんな私が少しづつ、何かのきっかけによって、変わっていった物語を次回も書いていけたらなと思います。
よかったら、引き続き、後半戦も楽しみに待っていただけると嬉しいです^_^
この記事に少しでも共感していただけたり、何かに気づくきっかけになったらな、と思いこの記事をしたためました。
少しでも多くの方の勇気づけになったらと思っています。

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