友野雅志の宇宙ーTomocosmosー作品いろいろ

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友野雅志の宇宙ーTomocosmosー作品いろいろ

Tomocosmosは、友野雅志のpainting.poetry.photo.haiku.essay.blog を集めた世界です。

マガジン

  • カメラ、写真日記ー友野雅志のカメラについての思い

    カメラ、写真についてど素人が思うことを書きます。 noteスタート以前のものは下をご覧ください。 https://ameblo.jp/tomophotograph https://www.instagram.com/masashitomono

  • Tomoのブログー友野雅志のいろいろ思うこと

    思うことをその時々書いています。noteスタート以前のものは下をご覧ください。 https://ameblo.jp/pololitomono/

  • TomoPhotosー友野雅志の写真

    散歩で出会う小さなうつくしさを残します。 古い写真は下にあります。                   https://ameblo.jp/tomophotograph/

  • TomoHaiku友野雅志の俳句

    日頃書きためた俳句です。noteスタートからの最近のものだけのっています。それ以前は、下をご覧下さい。 https://ameblo.jp/tomohaiku

  • TomoPoetryー友野雅志の詩

    日々書きためた詩の中から、noteスタートしてしばらくしてからの最近のものをのせています。それ以前は、下をご覧下さい。          https://ameblo.jp/masapoetry

記事一覧

最近もち歩くカメラ2

前回、最近もち歩くカメラ1で、TX-1を紹介した。TX-1は、いわゆるパナライカと呼ばれる、Panasonicと Leicaの共同作業で作られたカメラである。レンズはLeica、本体はPana…

国境をどんどん越えて恋する若者たち

下は、卓球の石川選手が中国語のアナウンサーの質問に中国語で答えていた、日本人の卓球選手は中国語を話す、そして石川選手は中国の選手たちにプレゼントを持っていて、そ…

最近持ち歩くカメラ

歳と共に変わったのはカメラである。 20歳の頃、アサヒPentaxSPのセットをもらって、スタートした。ヨドバシカメラの安いーーーーといっても学生には高かったーーーートラ…

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早朝の千駄木散歩。四年前も同じような写真を撮っていたんだと納得。

バリでの計画変更

上はクタビーチである。本当はたくさんのビーチパラソルが並び、お店が並んでいるらしい。 五十年近く前は、本当に、観光客は少なく、いわゆるヒッピーが何名かいるだけで…

どこに就職するか⁉️

どこに就職するか⁉️ 大学を受験する時も何学部にするか悩み、親からの強い要求があったが、結局わたしは、親の要望には見向きもせず、また自分自身の望みも捨てて、その…

仕事を選ぶとは

わたしは、28歳からコンピュータの仕事に入った。別にコンピュータに興味があったわけでもないし、ましてや好きだったわけでもない。 食べるための仕事をいろいろさがした…

河童忌

今日は河童忌。若くして芥川龍之介が亡くなった日。昨夜、『河童』を読んだ。エンディングも忘れていた。現代にも通用する小説で、いろいろ考えてしまった。 河童忌や緑は…

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ガラスの向こうーー2

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改修工事足場。

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若葉、枯れ枝、そして木漏れ日。

よせる波とひいて消えさる波。

あなたをのみこんで おおきい波、そして崩壊がきた 折れる骨 こなごなになる空 言葉は消えた しばらくすると しずかに星は震えた 過去を思いだすのではない 来るあたらし…

鬱、うつ、ウツ

今、日本人の約10%が鬱だという。 何が原因か? 学校では、なにかのルール、あるいは力のしきたりに従わなければならない。 働き始めると、その仕事場あるいは会社の暗…

手のひらのなかで

あおいまるいボール ガラスは冷たいまま ひびく足音 もがく手のひら ガラスのかけらが ながれる 槍のように ときには あたたかい外套のように あの声が聞こえるだろうか…

奄美と島尾敏雄②

戦争末期、特攻艇部隊180名の隊長として奄美の加計呂麻島にやってきた島尾敏雄は、その島の長老の中国語の読み書きをし多くの書籍を持っている老人を本を借りるために訪ね…

奄美と島尾敏雄

日本で詩を書いていた大学ノート30冊をロンドンに送ってもらった。その中から100篇ほど、ロンドンで買ったノートに書き写した。その後、英語の詩を書いている友人もできて…

最近もち歩くカメラ2

前回、最近もち歩くカメラ1で、TX-1を紹介した。TX-1は、いわゆるパナライカと呼ばれる、Panasonicと Leicaの共同作業で作られたカメラである。レンズはLeica、本体はPanasonicと言っていい。 TX-1は、25mm、F2.8から250mm、F5.9のズームをもち、撮像素子は1inchである。 1inch‼️と驚く、あるいは、大丈夫⁉️と心配される方もいらっしゃるだろうと思う。しかし、案ずるより産むが易し、である。 わたしはNikonのFE、Canon

国境をどんどん越えて恋する若者たち

下は、卓球の石川選手が中国語のアナウンサーの質問に中国語で答えていた、日本人の卓球選手は中国語を話す、そして石川選手は中国の選手たちにプレゼントを持っていて、そのひとつを彼女が好きな中国の男子選手に渡すようにお願いしていたーーーーという記事である。 その上は、アメリカのオリンピック卓球選手(左)、ドイツのオリンピック卓球リーダー(右)である。多くの中国人がアメリカやヨーロッパに帰化して、そこで卓球のオリンピック選手になっている。 そのうち、多くの中国選手がいろいろな国の代

最近持ち歩くカメラ

歳と共に変わったのはカメラである。 20歳の頃、アサヒPentaxSPのセットをもらって、スタートした。ヨドバシカメラの安いーーーーといっても学生には高かったーーーートライXをたくさん買い、たくさん取り、深夜たくさん現像し、その中からごくわずか焼き付けていた。 その後、フルサイズのNikonFEとCanon AE1になり、その二台を長く使っていた。その頃は沖縄でいつも車に乗っていたので重さは気にしなかった。 ところが、東京へ引っ越し、車を手放し、60歳が近づくと、フルサ

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早朝の千駄木散歩。四年前も同じような写真を撮っていたんだと納得。

バリでの計画変更

上はクタビーチである。本当はたくさんのビーチパラソルが並び、お店が並んでいるらしい。 五十年近く前は、本当に、観光客は少なく、いわゆるヒッピーが何名かいるだけで、お店も、ビーチから大通りへ向かう細い道に何軒かの焼きそば屋があるくらいだった。 わたしより先に日本を離れてイギリスに向かったイギリス人のガールフレンドから絵葉書が来た。ーーーークタビーチのゲストハウスXXX番に2ヶ月止まる予定だから、もし良かったら来て。ーーーー イギリスの大学院進学を計画して、ロンドン大学の比較

どこに就職するか⁉️

どこに就職するか⁉️ 大学を受験する時も何学部にするか悩み、親からの強い要求があったが、結局わたしは、親の要望には見向きもせず、また自分自身の望みも捨てて、その中間の道を選んだ。 それは就職の時も同じだった。いや、最終的には、わたしがわたしの望みの道を誰にも告げず、決めて選んだと言える。 大学卒業の時、就職試験で合格した会社は三社あった。 ひとつ目は電◯。何名応募したか知らないが、ほぼ決定した最後の七名で副社長と会談した。その場で、副社長から、「あなたはリーダーシップ

仕事を選ぶとは

わたしは、28歳からコンピュータの仕事に入った。別にコンピュータに興味があったわけでもないし、ましてや好きだったわけでもない。 食べるための仕事をいろいろさがしたが、沖縄では中途で採用してくれるところはなく、食べるためにコンピュータ会社で働き始めた。 しかし、日本では日産の次に、工場の自動化とPCでのコントロールのシステムを動かし、満足した。寝ていても、寝言ではプログラムを読み上げ、両手はキーボードを叩いていたというから、もともと模型や機械を組み立てるのが好きだったのが、はま

河童忌

今日は河童忌。若くして芥川龍之介が亡くなった日。昨夜、『河童』を読んだ。エンディングも忘れていた。現代にも通用する小説で、いろいろ考えてしまった。 河童忌や緑は揺れれどきみは来ず 古池やひなたに河童風香る 神田川、河童となりてクワァクワァア 梅雨明けや河童ベッドか地の下か 捌かれし河童まわりくる皿乾き

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ガラスの向こうーー2

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若葉、枯れ枝、そして木漏れ日。

よせる波とひいて消えさる波。

あなたをのみこんで おおきい波、そして崩壊がきた 折れる骨 こなごなになる空 言葉は消えた しばらくすると しずかに星は震えた 過去を思いだすのではない 来るあたらしい時間を おそれるのではない 全身をおおう 線が 震えている もう 生命体ではない 時と 影がゆれる みじかい時間 時がこまかく 砕けながら あなたの前へ前へと ながれていく ある夜明け あるいは 午後のあかるさ 紺色の夜 あなたはこの世界にはいない はるかかなたの 闇からわたしに目配せする あとすこし

鬱、うつ、ウツ

今、日本人の約10%が鬱だという。 何が原因か? 学校では、なにかのルール、あるいは力のしきたりに従わなければならない。 働き始めると、その仕事場あるいは会社の暗黙のルールーーーーつまり、表に出てこないルールに従わなければならない。 社長の発言には、どういうフリーミーティングでも質問してはならない、ましてや違う意見を述べてはならない、酒の場であろうと、そのルールは守られなければならない。 全てではないが、多くの場で見られるこれが日本の社会である。どこでもそうかもしれ

手のひらのなかで

あおいまるいボール ガラスは冷たいまま ひびく足音 もがく手のひら ガラスのかけらが ながれる 槍のように ときには あたたかい外套のように あの声が聞こえるだろうか 眠りつつあるあなたには 触れていく風を感じるだろうか 氷の透明さのあなたには もうおろしてしまおう 白い麻の空を あなたの 呼吸のあたたかさが あおい星をくもらせる だれの手のなかで回っているのだろう あなたの夢と わたしの 目覚めたばかりのかなしみは ながれるような あなたの四肢から 青葉あるいは水草 

奄美と島尾敏雄②

戦争末期、特攻艇部隊180名の隊長として奄美の加計呂麻島にやってきた島尾敏雄は、その島の長老の中国語の読み書きをし多くの書籍を持っている老人を本を借りるために訪ねるようになる。 その老人の娘(実の娘ではない、1歳の時養女できた).小学校教師のミホと恋をする。 ミホは、夜、岩場の海辺を岬を回って、島尾敏雄に会いに行く。 二人は戦後東京にでる。二人の子どももできた頃、島尾敏雄は浮気をする。ミホは自殺しようとするし、錯乱状態が続く。それから二人で精神病院に入る。ーーこの頃のこ

奄美と島尾敏雄

日本で詩を書いていた大学ノート30冊をロンドンに送ってもらった。その中から100篇ほど、ロンドンで買ったノートに書き写した。その後、英語の詩を書いている友人もできて、英語の詩をタイプライターで打ち始めた。 100篇ほど打ったところで、どうしても訳してみたいと思っていた、島尾敏雄の『死の棘』を訳してタイプライターを打ち始めた。その頃、英語に訳されてなかった。今はどうだろう? 二十歳の頃、名瀬市の図書館長をなさっていたので、司書を通してアポイントをとって1時間ほどお会いするこ