狩猟犬

欧米人と日本人の動物への考え方と生活の仕方の違い

1つ前のnoteでアニマルシェルターに行った際に感じた施設の方針や動物たちとの接し方の違いなどに触れました。

その経験があった後、主に犬の飼い方として欧米人と日本人では大きく違うということを授業で習う機会がありました。
今回はその事について書きたいと思います。

1.狩猟民族と農耕民族

私は「人と犬との歴史」を授業でならった際に、この違いがどのように出てくるかの理由を学びました。

欧米人は、元々犬を狩猟のパートナーとして向かい入れました。
だから人は犬を大切な”バディ(=仲間)”として扱い、その上で人は人、犬は犬という”個”を尊重した接し方をします。

バディ

また、一緒に狩りをしないといけない為、高度なトレーニングを行なう必要がありました。そして室内も靴で入るという生活スタイルと信頼関係を培う為には、犬を室内で飼うことの方が自然なこととなります。

農耕民族であった日本人にとって、長い間家の外に繋がれる”番犬”として犬を飼う習慣がありました。今でも農村ではそのような飼われ方をしている犬を見かけますね。番犬に難しい訓練をする必要はなく、知らない人がきた時に吠える事だけを任せていた日本人。家は靴を脱いで入る場所なので、外で飼う方が自然だったのです。

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それゆえに、この考え方と意識の違いにより、犬の社会的地位の確立のされ方が変わり、ヨーロッパではペットに対する虐待などには重い刑罰が科せられます。一方日本では、ペットとされる犬や猫は、長い間”もの”として扱われてきました。

2.宗教観からくる違い

欧米ではキリスト教の考え方が動物との接し方にも紐づいています。

欧米人はパートナーとしての動物が、自分の足で歩けなくなったり、病気で苦痛を伴う生活となったり、自分でものを食べられなくなったりすると、飼い主の責任としてほとんどの方が安楽死を選びます。これはオーストラリアで取材をした獣医師の先生が話してくださったお話ですが、オーストラリアではペットが寿命でなくなることがほぼないそうです。

でも日本人は絶対に安楽死を選ばないのだそうで、話にも上がらない程だと言っていました。これは、仏教の「殺生は罪」という考え方が色濃く残っているからです。

日本人は自分が飼えなくなった時、誰かが飼ってくれるかもという一縷の望みをかけて犬を捨てたりします。でもこれは、海外の方々にとっては拷問のようだと意見され、飼い主としてとても無責任とみなされます。暑さに苦しみ、寒さに震えたり、飢え死にしたり、病気やけがをするかもしれない可能性を孕んでいる事をさせるぐらいなら、自分で新しい飼い主を見つけるか、安楽死をさせることを選ぶことこそ、飼い主の最後の責任だと考えるからです。

3.正解のない答えと自分の結論

私はこの2つの施設とこの授業で体験したり学んだことで、かなりの意識の葛藤がありました。安楽死をさせることで施設を管理し、世話をしている動物や働いているスタッフへ配慮し、”個”の尊厳を守る方針か、命は平等なので、どんな条件であっても殺さず、最後まで面倒をみると決めて受け入れ続ける方針か。19年経っている今、双方の施設の運営方針も変わっているかと思いますが、この経験は私の中で正解は一つではないという事実を目の当たりにし、その上で自分の意見を確立する大切さを学んだできごとでした。

私の中で最後には、やはり自分がその動物の立場だったらどうなのかに落ち着きました。安楽死に関しては私は状況により推奨します。自分が生きていたくないと思う状態で、大切な人達に迷惑をかけながら生きていたくないからです。

私は2匹の愛猫を亡くしましたが、1匹目の愛猫はなは血液の病気になり、最終的に呼吸器をつけることになった時に、すぐにその呼吸器は外してもらいました。ただ1匹で死なせたくなかったので、明日までもたないと言われて病院を後にする時に、私達がかけつけるまではもたせてくださいとお願いしたのでした。その夜一晩は、冷たくなった愛猫と一緒に寝て、次の日にお葬式をしました。でも自分たちが彼女にやれる事はやって、最後の夜をしっかりと一緒に過ごし悲しみ尽くしたことで、後の立ち直りは早かったです。

私のペンネームの由来となった2匹目の猫小梅も、点滴などで延命はせず、家族が看取ってくれました。でも、やはり自分が看取れていない別れは、後悔と共に後をひくものになっています。

でもそう考えると、私も家族も、良いバランスでどちらの考え方も取り入れていると感じますね。

動物もそうですが、私は自分がボケたり、植物人間の状態になったりしたら絶対に生きていたくはありません。臓器提供カードにもサインをしていて、使えるところは全て使ってほしいと思っています。でも母親から言わせると、その時にわからないと言われていますし、その判断を家族がするのは、本当に苦渋の決断であると感じています。

動物が難しいのは、彼らの気持ちを私達人間がハッキリと受け取ることはできないという事。だから最後は、飼い主の責任で判断せざるを得ません。後悔をしない為にも、その時の自分にできる最大で真摯に臨むことが大事なんでしょうね。

小梅


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