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イヤホンをしない中国人。

中国旅行

中国に旅行に行っている。夏の終わりに西安へ、そして11月には杭州に行った。もともと中国に頻繁に行っていたわけではない。中国語の学習を始めてからだ。もうそろそろ2年になる。当初の予定よりも習得のスピードは遅れているが、毎日少しづつ学習した成果で上達はしているようだ。旅をするたびに上達度合いが測れるのでモチベーションが向上する。

中国旅が増えた要素はほかにもある。私が最も使うのは中部国際空港だ。セントレアと呼ばれる。最近、セントレアと中国の都市を結ぶ路線の就航が相次いでいる。そして価格が非常に手ごろだ。往復2万円以下で航空券がとれる。また、何といっても中国料理がおいしい。ヘッダーの写真は牛肉面だ。中国のソウルフードといえるだろう。中国に行ったらまずこれを食べる。

イヤホンをしない中国人

中国人に対して日本人が抱くイメージの一つが、

「声が大きい、公共の場でも大きな声で話している。」

というものがあるのではないか。まず言いたいのは、多くの日本人の中国人に対する偏見は目に余るということ。私は特別に親中派ではないが、二年間も中国語を学び、中国人の友達とも付き合っているので、知中派であると自認している。知中派からの観点から言って、中国人が声が大きくて公共の場でも大きな声で話しているという偏見は、、、、同意する(わらわら)。

僕の知る限り、中国の地下鉄内で大きな声で電話している人は普通にいる。こちらに会話の内容がはっきり伝わる程度の音量で会話をしているのはあたりまえの光景だ。動画をイヤホンをせずに大音量で見ている人もいる。(もちろんイヤホンをしている人もいる。)隣のおばさんが大きな声で電話をしている。数分聞いていればそのおばさんの家族構成と問題が分かってくる。このような中国人は「自分のプライバシーが他人に知れる」ということに恐怖を感じていないように見える。私はと言えばひどく恐れる。

一方で、そのような人に対して、「迷惑だなあ」と思っていそうな人も周りにいなさそうなのだ。いや、本当に迷惑な音量で話していたら中国人ははっきり注意するだろう。他人の迷惑に対して口を出しにくいというのも日本らしいところ。中国人なら迷惑だと感じたら即抗議をするだろう。講義をすることが恥だ何という考えは微塵もないのも中国人らしいところだと思う。

これくらいプライバシーという概念に価値が置かれていない社会において、いわゆる「監視社会」というのは大した問題ではないかもしれない。中国政府が監視を強めているとして、また中国のIT企業が人民のビッグデータを集めているとして、それに対して「人権侵害だ」とか「抑圧されている」という風に中国の一般の人が感じているようにはまるで見えないのだ。

「日本は恥の文化」「旅の恥はかき捨て」などどいうが、中国において恥という日本特有の概念を押し付けては理解が遠のくだろう。

他人に関心があり過ぎる日本人

日本人にとって「他人に迷惑をかけるな」という道徳が公共道徳の大きな役割を果たしている。これを守るには周囲を気にせざるを得ない。その結果、日本は他人に迷惑をかけられにくい社会が成立している。これは私にとって普通のことだし、日本らしいことだと思う。良いも悪いもない、むしろ私には良いことだと思う。

しかしそれは、ある意味日本人に対して精神的な抑圧を押し付けるものだ。その圧力を感じて、他人の目を気にして、日本人は行動を律して、社会は平穏を維持する。これはとても日本スタイルだ。

中国ではそれは成り立たない。日本のような社会の空気に期待しない方が良さそうだ。嫌なことは嫌という、やりたいことはやりたいという。これは中国に特化されたことではないだろう。むしろ、日本から出る意志や予定がある人は、このことについて慣れるのに多少時間がかかるだろう。

イヤホンをせずに個人情報だだ漏れの中国人に過度に敏感になっている自分があまりにも日本人なのだろう。ここは中国なのだ。

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